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niku.niku


「肉体」がある事が不思議でしょうがなかった。

自分の「意志」で体が動いているのか。シナプスの伝達よりも早く行動しているのか。皆は自分自身をどうやって認識しているんだろう。

私は、私の心(意識)に問う事はするけど、私の身体に問いかける事は無い。体が動くってよくよく考えたら凄い。私は超能力を使って「手」や「足」に動けとも命じずに動かしている。それは普通の日常の話だ。

だけど、皆の前で発表をする時や大会で勝たなくてはいけない時、人間は緊張する。普段何気なく使っている「テレパシー」が一向に歯が立たなくなる。

足が震えたり、上手く声が出なくなったり、体が思う様にいう事を聞かなくなる。

体ってなんなんだろう。

昔、母と買い物をしにスーパーマーケットに出かけた。人間って箱の中に入るのすごく好きな生き物なんだなあ。そう感じたのを鮮明に覚えている。家やスーパー、デパート、ビル、電車、全部四角の箱に思えた。スーパーに行くと、お肉、魚、野菜、飲み物、お菓子などが陳列している。

(人間だけじゃなくてお肉や魚も四角い箱に入っているんだなぁ)

と思ったらすごく気持ち悪く思えた。見えない力が私達を飼っている様なそんな違和感を覚えた。多分、犬小屋を想起したのだろう。

動物やものが加工されている段階のグロさや気持ち悪さをその四角い容器は隠しているのだ。綺麗にできた人工物の「容器」が綺麗に拭き取られた血や骨を私たちに何も無かった様に見せているのだ。

最近の人間たちは「生」に対しての認識が薄れてきている様に思う。私は動物たちが殺される姿を想像するだけで気持ちが悪くなってご飯が食べられなくなる。それは日常的に何かが殺される現場に慣れていないからだと思う。

誰が いつ どのタイミングで真実を隠す様になったのだろう。

私の身体も血や骨などグロテスクなものを内包し、皮が無かったことの様に内部を見せない様に出来ている。

私は気持ち悪くなって、スーパーに置かれていた生肉をその場で食べた。

会計をする前のものだったので母親がびっくりして店員さんに謝っていた。でもさ、今この手でこの目の前に小さくなってしまった肉の断片を生で食べる事が私にとっての抗い(あらがい)だった。

人間が作った家で、人間が作った加工品を、人間である私がそれを食べる。

私は自分の体を肉の塊だとは思わない。だけどなんなのかも未だによくわからない。

私の意識と体は切り離せないものかもしれないし、切り離せるものかもしれない。そして食べた生にくは私の内部の何となったのだろう。

FIN

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