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吾輩は悪である。

 吾輩は悪である。
 名前はまだ売れていない。

 悪であるがゆえに他の悪が許せないでいる。世の中には悪党が多く一人残らず成敗するには骨が折れる処である。ではまず、私がどんな悪であるかを話していこう。興味がなくても聞いていってくれ給え。

 私が描く理想的な社会とは実に平凡で平和である。一般人は幸せに暮らしている。そこには不正を働く政治家も官僚も企業家も存在しない。暴力や詐欺とも無縁である。これを実現するためには既存の小悪党どもを一掃しなければならない。それは私の悪と価値観が違いすぎるからだ。私の中の悪は自分の稚拙な作品群が人々に知れ渡り、私に富と名声を届けてくれるところに存在する。そうやって聞くと、悪と創作活動が何も関係なくなってしまうかもしれないが実は密接な関係にある。先程も述べたように私の作るものは稚拙でとてもではないが経済活動のラインには乗らない。それはなぜか? それはこの国が貧しくなっているからである。誰の手によって? もちろん政治家や官僚、一部の企業がズルをしているからである。だが、それらの小悪党どもを選んでいる有権者が最も愚かである。自ら泥炭の苦しみに飛び込んでいるのだからその愚かしさは救いがたいものがある。愚か者には他者に対する愛がない。他者に対する愛がないから選挙に参加しなかったり、頼まれたから投票したり祭りで焼きそばを食べたから投票するといった馬鹿げた行動ができる。そうして生まれた結果が貧しい日本という形である。この貧しさの中においてはくだらないものはお金にはならない。人も集まらない。特に絵がうまいわけでも話が上手なわけでもないし宣伝も下手くそであればなおさら経済活動には参加できない。が、この国が裕福であった場合、これが逆転する。誰にも彼にも余裕が生まれると今まで届かなかったところにお金が届くようになる。こうイメージしてみたら良い。日本に大旱魃が来たとする。山という山の木々が枯れて砂漠のように不毛な土地がどんどんと広がっていく。それが今の状態だ。そこに雨が降る。適度に。こう言っておかないとすぐに揚げ足を取りに来る馬鹿がいるからだ。急激な大雨は土石流みたいな大災害を引き起こすだろうから、雨は徐々に大地を潤すことにする。するとどうだろう。今まで乾ききっていた河に水が満ち、河でなかったところにも新しい川ができたりする。私はその川に住んでいるわけである。水がタダで届いてやっほーいなわけである。単純にきちんと働いて暮らすという手もあるが、私は悪党なのでそういう手段は取りたくないのである。出来る限り手を抜いて楽に省エネに生きていたいわけである。持続可能な人生である。分不相応な物品は欲しがらないのだ。

 私の目指す悪というものは法律を遵守する。法律を守らないものはアホだ。知らずに破ってしまうこととかはあるかもしれないが一般に誰がどう考えても犯罪だなと思うようなことをするやつは頭が悪い。小悪党だ。本当の悪は絶対に捕まるようなことはしない。それは悪事を重ねても逃げおおせるということではない。本当の悪は一般的な悪事をしないということなのだ。こんな事を言うと混乱するかもしれないが、これをやっちゃいけないだろうなということをやる人間は自制心がないだけである。本当の悪には強靭な自制心がある。例えば銀行強盗を考えても実行はしない。リスクがわかるからである。成功したとしても銀行強盗など一人では出来ないだろうから仲間を集めなければならない。仲間を集めると必ず仕事ができないやつが出るし、我慢が効かないやつが出る。するともうそこで失敗が見えてくる。万事成功して10億円を手にしてもそのお金はすぐに使用することは出来ない。派手に使えばそれだけでもう足がつく。そうなれば10億円は消え長いお勤め期間だけが残る。得たものはなにか? ドキドキ感だけか? こんなものは悪ではない。悪とは限りなく楽で自分らしく生きていることである。自分らしくという言葉を見て好き勝手に乱暴を働くような人間のイメージが湧いたが、それはとてもじゃないが自分らしいとはいえず自分を見失っているとしか思えない。

 私は自分の小説の中で人間の魂は4つに分かれていると書いているが、人間には善と悪の2つの性質を持つ魂があってその2つの性質の魂4つで構成された心を持っている。実に分かりづらいが、私であれば善悪悪悪と言った具合である。そしてその分け方で考えたときに完全な善人は本当に少ないのだ。4分の1? いやいや本当の善人は4分の1の4乗である。(2分の1の4乗だわね)4つの魂のうちの1つにでも悪があればその心は悪にカウントされるのだ。また完全な善人が少ないように完全な悪もまた少ない。ただ、私達の多くは悪人である。悪であるがゆえに流され傍観し悪を見て見ぬふりするのである。しかし、心の片隅に善が存在するので時々目が覚めるのだ。小悪党が正気に返るのも善の魂が一欠片でもあるからであろう。

 さて、この貧しくなった国を立て直し私の理想とする適当に生きても楽に生きていける社会を実現するためには、今の自公政権や維新の会などの小悪党どもが非常に邪魔である。かの連中は自分たちの利益しか考えず調子のいいことを言って好き勝手放題をやっている。彼らを追放しなくてはならない。そうして今度は勉強しかできない官僚を追放して国民のために頑張れる人間を登用してもらわなければならない。インチキをしている企業はすべて淘汰してしまわなければこの世に存在する金の亡者を地獄に戻す方法がない。そうやってはじめて底辺で創作活動をする我々に太陽の光や水が届くのである。現状を変えるために小悪党どもの嫌うことを率先して行わなければならない。もちろん合法的にである。まず手始めに日本共産党の議席を全議席の3分の1まで増やすことが良いだろう。何故ならば勝共活動に勤しむ連中は捏造までして「共産党アレルギーなどという大人のイジメ」を繰り出すのだから、日本共産党が増えることが一番ダメージがでかいだろうし、国会での質問などを聞いていても至極まともでだからこそ金の亡者共に嫌われているのだろうと思うのである。大人のイジメに参加し続けるか辞めるかはすぐに選択できる問題だ。日本共産党が中国共産党と同じだと信じ込んでいる人でも3分の1であれば許容範囲だろう。実際に問題なのはどの主義主張でも一党独裁や個人崇拝をやりだしたら終わりなのである。少し、思い当たるフシはないかい? この国にもあっただろう? 半ば一党独裁とか個人崇拝みたいなものが。

 この度、自民党と統一教会の問題が明るみになり、日本の衰退はここに原因があったことがよくわかっただろう。今やアジアでも資産価値と魅力を失いもはや下から数える方が速いくらいになっている。逆に壺発祥の韓国は目覚ましい発展を遂げている。それもそうだ。長距離走に例えてみたら日本の選手は壺を履かせられて走らされていたわけであるから当然であろう。走りにくいと言ったら無い。自民党や壺がやってきた勝共活動とはこの国を貧しくすることだったわけである。そして、おそらくこの先も自民党と壺は手が切れないだろう。それに騙される有権者も多いだろう。なぜかと言ったらやはり他者に対する愛がないからだ。自分のことだけを考えている。

 私は違う。私は他人が豊かで幸せであったほうが自分が楽をできるから、世の中に豊かで幸せになってほしいと考えている。最終的な目的は私が楽をするためだが、私には他者に対する愛がある。悪ゆえの愛し方だが。つまりは優先順位の差である。自分が先に潤っても先細りが目に見えている。そうであれば他人が先に幸せになったほうが後々の利が多くなる。だから、世の中に豊かになってもらいたいのである。他人に余裕が生まれてこその自分の幸せが生まれるのだ。

 吾輩は悪である。名前はまだ売れてない。
 この国が再び豊かになったときに少しだけ売れるかもしれない。
 それが私の幸せである。

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