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自認について

今回は、私が自分のセクシャリティについて考えるようになったきっかけの話をします。

高校時代

私が、はじめて自分のセクシャリティを意識したのは今から約8年前、高校2年生の時です。当時私は運動部に所属していて、チームメイトの同級生に好意を寄せていました。家の方向も同じだったため、行き帰りも一緒であることが多く、自然と接する時間が長くなっていたのが原因の一つだと感じます。

しかし、相手は同性です。友達以上になれないのは目に見えて分かっていたし、私自身「友達としてこの子の幸せを見届けたい」と思っていました。けれども、当時の私はそこまで器用でもなく、その子への好意が顔や態度に出てしまっていたようです。後輩に「先輩って〇〇先輩のこと大好きですよね。」と言われるほどには。

幸せを願っていながらもそこに私がいないことが許せず、嫉妬心を燃やしては、「これじゃあ私のエゴの押し付けだ」と自分を抑え込んでいました。そんな葛藤を抱えての立ち居振る舞いなんて、見られたもんじゃあなかっただろうなと、想像して恥ずかしくなることがしばしばあります。

卒業後

高校卒業後はお互い自分の道に進み、もう会うこともないだろう。そう思っていたのも束の間で、上京して数ヶ月経った頃に「会わないか」と連絡がありました。その子も東京の大学に進学していたのです。それからは半年に一度ぐらいの頻度で会い、お互いの近況報告などをしていました。

その子も私の好意に気づいていたはずなのに。「友達」として会い続けること数年、とうとうその子の家に泊まることになりました。その頃には私も「このまま友達として関係を続けられたら十分なのでは」と考えるようになっていました。大丈夫、しくじってまた好きになったりしないだろう。そういう自信を持ってその子の家へ向かいました。

が、そんな理性脆いものです。駅で待ち合わせ、夕飯にとラーメン屋に立ち寄った頃にはもう幸せな気持ちが抑えられなくなっていました。狭い店のカウンター席に隣り合って座り、テレビのスポーツ実況に茶々を入れながらこの上ない日常を一緒に過ごしている。そこで見たもの感じたもの、全てが今日に至るまで日を増すごとに美しくなっていくから厄介極まりないのです。

結局そのお泊まりの後は、互いに忙しくなったためしばらく会うこともありませんでした。それから、私の就職が決まり、その子も大学院へ進学、タイミングが合ったので久々にお茶することに。

伝えないで後悔するより、

そういえば、面と向かって「好き」と伝えていなかったな。
待ち合わせ場所へ向かう電車の中でボンヤリとそんなことを考えていました。

もはや「恋人になる」という希望も尽きていました。ただただ、好きと伝えて全て終わりにしてしまいたかったのです。どうせ、就職して引っ越したら縁もなくなる。さっさとフラれて気持ちにケリをつけたい。

本当に自分勝手な考えでしたが、その日私は、高校時代から募らせていた想いを全て伝え、「なんでいつも勝手に自己完結するん」と喝を入れられ、晴れてフラれました。フラれたというのも、私が逃げるようにして姿を消しただけなのでこれもまた勝手な自己完結に過ぎないのですが。もう会うことはないはずです。

田舎へきて

田舎へ引っ越してきてからは、人と出会う機会が格段に減りました。出会っても高齢者。元々、人を恋愛的に好きになることが少なかったこともあり、このまま独りで生きていくのだろうなと切実に感じています。

時間が経つほどに思い出が美化されていくのも困りものです。しかし人と繋がるためには、思い出に縋ってもいられません。できるだけこれまでの経験と比較しないで、今を見て今を楽しむよう意識しています。

オンラインが中心にはなりますが、メッセージや通話でコミュニケーションをとりながら関係を続けていけないか。出会い目的に限らず、田舎に暮らすセクシャルマイノリティが負担を負わずとも他の当事者と繋がれる環境をつくる。試行錯誤しながら、これからも活動していきます。

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