『太陽帆船』裏あとがき
3/14に発売した、歌集『太陽帆船』の載らなかった方のあとがきに、短歌を加え再編集ものです。
気が合いそうでしたら、是非。
あとがき
ぼんやり海を見ていたら波が来てあっという間に全身に海水が掛かっていたような誘いに乗っていて、昨日は初めて海釣りをした。
多忙と重なっていたこともあり、気乗りしていなかったが、世界はもちろん 人間関係においても、うつくしいだけのもの 完璧なものなんてありえないのだからそれが十分だと思った。
レンタカーに乗って海岸へ着くと、船で沖にある海釣り用の筏(いかだ)まで運んでもらった。
流されないように重りで固定された広めの筏(いかだ)の上には、
子どもが買ってもらったばかりの色鉛筆で描いた簡素なのに脆さや寒々しさなどの嫌な感じが全くしない家のような、屋根と柱だけの小屋があった。
釣れるかもしれない魚に期待することも、釣れない魚に立腹する気も起きず、誰かが怪我をしたり嫌な気持ちや悲しい気分にならなければ何でも良かった。
ただただ時間毎に変わる、日当たりが一番良い所や最も涼しい場所を見つけようとしたり、風の強弱の変化にばかり気が向いた。
一緒に来た人が何度も「釣れない」と言う度に「釣れなくても海がきれいだよ」、「ここに日陰が出来ていて、この世の適温だ」、「忙しく釣れるよりはのんびりで丁度良いよ」などと言ってみたが、それでも
「釣れない」と言うので、
「釣れない時は、魚が考える時間を与えてくれたと思えばいい」とヘミングウェイが言っていたよ、と言うと
「面白いこと言うね」と苦笑付きでやっと返事が返ってきて、そうか。これは面白いことなのか、と思った。
次からは「釣れない」という言葉に対しては「釣れないねぇ」「釣れたら良いねぇ」と返した。
それが一番その人が信じているものを同じように信じていくことに似ていると思った。
私にはそれを止めてまで、あるいは壊してまで言いたいことは、本当に何一つなかったし、この関係性ではノイズになるばかりだった。
人は自分の言葉のゆりかごを探しているだけの時もあるかもしれず、誰かが受け止めればゆっくりと揺れ始める。
そんな時は、押し付けたり訂正したりせず、そうだね。そうだね。と心から揺らし、乗ったものが泣きたいだけちゃんと泣けてから泣き止んだり、落ち着いて時間が癒すのをただ待つしかないことも多かったし、それが必要なことだとやっと分かっていた。
「同じことを信じていたい」という気持ちで傷つけてしまった人のことを書きものをしているとよく思い出す。
悪い意味では本当にない、もしくはなくなったのだが、美しいこと、正しいだけのことは特には重要ではないのだと、毎日のように色々な場所からどんな人からも手紙が届くのを待っているような感じがしていた。
気付けばそれでいいと思える場所まで歩いて来ていただけだったが、
「美しくなくたって構わない」
ということは一つの許しのようだと最近特に思う。
傷つけたい訳ではなかった人たちの信じるものへ爪を立てずに、あるいは上手に歯を包(くる)んだ頬で頬に触れるように、
疑うことを忘れた人として、ただ同じ分だけ信じてみたかった。
ただ「そうだね、」と揺れるゆりかごのような場所として、この本(『太陽帆船』)を置いてゆきたい。どうかそれだけを思っていたい。
・・・・・・・
今日は昨日の海釣りの続きとしての「別のもっと素晴らしい海を見に行こう」という連日の誘いを断って、私は今、『太陽帆船』のあとがきを書いている。
今日はこれを書こうと決めていたし、
昨日の海釣りで、魚なんて一匹も掛かっていない命の重さを知らない新品の釣竿だけで筋肉痛になっていた。そのことを告げると、さっと潮が引くように他の人たちはレンタカーで出発して行った。
終
・・・・ ・ ・
『太陽帆船』発売から、明日で一月が経とうとしております。
沢山の方に『太陽帆船』を読んでいただき、また感想をいただきました。
色々なことが報われる気持ちで満ち満ち、めでたしで終われる物語のように、あの日寝られなかった夜も健やかにただ眠りにつけるような気がします。
歩いてきた道の良かったこともそうでなかったこともただただ自分なりの精一杯だったと、
まだ誰かを切なくなるぐらい愛しいと思えるように、
ただただ、何かを信じていこうとする努力と勇気が尽きないように、
日々、精進していきたいと思います。
『太陽帆船』から一カ月、心を許し受け入れてくださった方々、誠にありがとうございました。
感謝御礼。
スペシャルサンクス!
・監修=千種創一
・装画=葛西由香
・ブックデザイン=脇田あすか+山口日和
・編集担当者
その他関わってくださった全ての方々
(敬称略)
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