はじめに

はじめまして。中山佳洋(なかやまよしひろ)と申します。Alfred Wegener Institute/University of Bremen (博士課程)、NASAジェット推進研究所 (NASAポスドクフェロー)をへて、現在北海道大学低温科学研究所というところで働いています。

南極の氷の収支と海面上昇

南極大陸には、地球上の氷の約90%が存在し、その量は海水準で約60メートルに相当します。南極の氷は、雪が降り積もり圧迫されることで形成され、徐々に大陸沿岸部へと流れ、氷河として海へと流れ込み、棚氷を形成します(図1)。棚氷とは、氷が海へと押し出され、陸上から連結して洋上にある氷を指します。このようにして、南極大陸上に降り積もる雪は、長い時間をかけて、海洋へと流出していくのです。つまり、南極大陸上に存在する氷の総量は、インプット(南極大陸への降雪量)、アウトプット(氷河としての海への流れ込み(氷河の流動速度))によってコントロールされることになります。近年、南極大陸上に存在する氷が減少し、海面上昇(年間約0.3mm)に寄与していることがわかってきましたが、この主な原因は氷河の流動速度の増加にあるとされています。

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図 1 南極の質量収支を表す概略図。

棚氷の役割、"冷たい"棚氷と"暖かい"棚氷

棚氷は、湾内など囲まれた領域に形成されやすく、氷河の流れを塞きとめる効果があります。その効果から、棚氷は時折、南極からの氷の流出を抑制する栓の役割をするとして、ワインのコルクに例えられることがあります。例えば、もし、ある氷河の棚氷が瞬間的に失われてしまえば、氷河の流動を止めている"栓"が失われてしまうので、上流部の氷河の流れは急激に加速して、大量の氷が海へと流出してしまうこととなるのです。

近年、西南極に位置するアムンゼン海(図2)の棚氷が薄くなってきていることが報告されています。例えば、アムンゼン海東部に位置するパインアイランド棚氷の厚さは、1970年代から現在までに約600mから約400mまで、減少しました。コルクを緩めて、ワインボトルを傾ければワインがボトルから流れ出てしまうように、棚氷厚の減少は、氷河をせき止める効果を弱め、氷河を加速させます。事実、パインアイランド氷河の流動速度は、1970年代には年間2kmだったものの、2013年には年間4kmまで加速しています。この結果、たった一つのちいさな氷河(幅約40km)によって、海水準を年間約0.13mm上昇させる量(全南極による海面上昇への寄与の1/3以上)の氷が海へと流出しているのです。将来的に、さらに、氷河をせき止めている棚氷の栓が緩み、南極からの氷の流出が増加すれば、海面上昇がより加速します。海面上昇は、世界中の沿岸部の損失、地下インフラへの浸水、地下水の塩水化などを引き起こすとされ、差し迫った問題です。


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図2 南極周りの400-1200m 深の平均水温。陸棚上に高温の水塊がある場所を赤丸、低温の水塊がある場所を青丸 で囲む。AS、BS、WS はそ れぞれ、アムンゼン海、ベイリングスハウゼン海、ウェッデル海を示す。FR 棚氷、T 棚氷、PI 棚氷は、フィルヒナー・ロンネ棚氷、トッテン 棚氷、パインアイランド棚氷 を示す。灰色のコンターは南極周極流を形成する前線の位置を示す (図は Jenkins et al., 2016 を自身で加筆したもの)。


現状、こういった急激な棚氷の薄化が見られるのはほんの一部の領域に限られます。南極沿岸の棚氷は、大まかに"冷たい"棚氷と"暖かい"棚氷の二種類に分けられます。"冷たい"棚氷とは、棚氷下部に比較的冷たい海水が流入しているものを指します。 (図2の青で囲む部分)。この冷たい水塊は、冷たい大気に冷やされること、また、海氷形成に伴った海への塩分の排出によって形成されています。その一方で、西南極に位置するアムンゼン海、ベイリングスハウゼン海では、南極周極流(南極大陸の周りを時計回りに流れる海流)が、大陸に近いところを流れ、周極深層水と呼ばれる水温1-1.5 ºCの比較的暖かい水塊が、陸棚上へ流入しています。棚氷下部にも水温1度近くの海水(海水の結氷温度は約–2ºC)が入り込み、棚氷の融解、薄化が進んでいます(図2の赤で囲む部分)。

世界的に注目される東南極トッテン氷河域、海洋棚氷相互作用に内在する不安定性

 ワインのボトルには、小さいボトルのものから大きなボトルのものがあるように、氷河にも上流部に蓄えている氷の量に差があります。例えば、パインアイランド氷河上流部の氷がすべて海へと流出した場合、1.2m程度海水準が上昇すると推定されています。東南極に位置するトッテン氷河上流部には、3-4メートルほど、海水準を上昇させることができるだけの氷が存在しており、この値は単一の氷河としては非常に大きな値です。

 近年の、砕氷船や人工衛星を用いた観測から、安定していると考えられてきた"冷たい”棚氷下部に暖かい水塊が(少量であるが)流入していることがわかってきました(例: トッテン棚氷、フィルヒナー・ロンネ棚氷)。さらに、複数の海洋数値モデルを用いた研究から、"冷たい"棚氷から"暖かい"棚氷への変化は、急激(10-20年程度またはそれ以下)に起こり得るのではないかということが指摘されています。現状、顕著な薄化は、アムンゼン海、ベイリングスハウゼン海(図1)の10程度の棚氷に限られます。しかし、南極沿岸部には、100平方キロメートルを超える棚氷だけでも、60以上あり、"暖かい"棚氷の数が増えれば、"コルク"効果が弱まり、南極大陸からの氷の流出は現状の10倍近い値となる可能性もあります。ワインバーであれば、コルクが空いたワインが多いことは喜ばしいですが、より多くの氷河が海面上昇に寄与するようになるのは、深刻です。




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