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素晴らしいお胸がなくなってしまった

 このタイトルを見た方はどういうシチュエーションを想像するだろうか。形の良い胸をしていたのに乳がんで切除してしまったようなケースだろうか。残念ながら、私は万年Aだ。乳がんでもない。

 温泉やスーパー銭湯に行っても、私より胸が小さい人を見たことがない。だいぶささやかなおまけが付いている程度で、かろうじて胸……でしょうか……? という感じ。肉付きのよい小学生には余裕で負ける。友達と旅行に行っても、一緒に大浴場に行くのはちょっと気が進まない。ノーブラでも何の問題もなく生活できるけど、ノーブラは女としてなんかアウトな気がする、という理由でブラをしていた。虚栄のブラはすぐズレるので変なところが圧迫されて型がつき、常々不快だった。
 そんな小胸でも会社の健診でマンモグラフィを受けなければならず、ない胸を潰されて大変だった。しかも案の定ほぼ乳腺がなく真っ黒のマンモ像で、医師に
「ここまで乳腺がないと乳がんのリスクほぼないから毎回マンモグラフィ受けなくていいですよ」
と言われる始末。金づるの患者に病院来るなと言うのには笑った。
 良く言うと、胸だけ水原希子。細くても太っていても、ありのままの自分の身体が一番だよね、と思えるようになったのは25歳くらいのことで、それまではずっと自分の胸が嫌いだった。

 巨乳とは言わないから、せめて人並みの胸になってみたい。Dとかわがまま言わないから、C、せめてB。

 そんな私のささやかな夢に、一筋の光が差した。私と同じくらい上半身華奢な友人が、妊娠して爆乳になったのだ。しかも2人。これは私も妊娠したら胸大きくなるかもしれない! 一生に一回くらい胸のある生活させてくれい!

 しかし悲しいかな、妊娠してもまっっったく胸のサイズは変わらなかった。他の妊婦さんはだいたい胸大きくなるのが常のようなので、ショック。妊娠8ヶ月、9ヶ月とお腹ははちきれんばかりに大きくなるのに、胸は相変わらず平板のまま。

 そもそも私は女として不具なんだ。ほぼ月経がなく、自然に排卵することができず、ホルモン注射を打ってなんとか排卵させ、妊娠することができた。自分では女性ホルモンを出せない身体。医学の力に頼って妊娠できただけ、ありがたいと思わないと。
 挙句の果てに、陣痛まで来なかった。陣痛もホルモンの作用で起こるが、胎児はドシドシと下に向かって激しく頭突きし、健診の時点で児頭下降度も進み、子宮口も開いていたのに、待てど暮らせど陣痛が来なかった。担当医に
「おかしいな、なんで陣痛来ないんだろう」
と言われる始末。結局誘発分娩になった。
 誘発をかける前夜、ひとり病院のベッドで寝ていると、いかに自分が女として不具なのか思い知らされて悲しくて泣いた。胸も子宮も卵巣も機能不全。女としてどうよ。


 出産は無事終わった。良いお産だった。そして、授乳が始まる。
 助産師には混合(母乳とミルクを両方与える) or 完ミ(完全ミルク)希望と伝えていた。完母(完全母乳)はどうせ無理だし、全く母乳が出ない可能性も高いので、完ミもやむなしと思っていた。母乳をあげたいか、と気持ちを聞かれてもよくわからなくて、出るならあげるけど、出ないなら仕方ないか、という感じ。
 実は、こんな小胸でも母乳が多少は出るのかもしれないと思う出来事があった。妊娠後期に入ると乳頭マッサージをするよう指導される。赤ちゃんは乳首を引きちぎる勢いで吸ってくるという話を聞いたことがあったので、こちらも引きちぎる勢いで痛い痛いと思いながらグリグリマッサージしていたら、水滴がにじむようになった。母乳、出るのかもしれない。

 出産当日は新生児室で赤ちゃんを預かってくれ、翌日から母子同室で、助産師がつきっきりで授乳やおむつ替えをサポートしてくれた。
「おっぱい見せてもらっていいですか」
 助産師がニコニコと笑顔で声をかけてくれる。おっぱいってこんなフランクに見せるものじゃなかったよな、と戸惑いつつ上の服を脱ぐと、助産師がおっぱいを触る。何も知らない新米ママの私はこの状況にビックリしながらも、身を委ねる。産前のマッサージしていたときのように、水滴がにじんだ。

「素晴らしいお胸ですね!」

 素晴らしいお胸? 私が? 素晴らしい? お胸???
 頭の中が?マークで埋め尽くされながら話を聞くと、出産翌日で水滴がにじめば母乳は出るようになるらしい。そのためにはできるだけ赤ちゃんに吸わせてくださいとのことだった。
 ぶっちゃけ、私の頭の中では母乳が出るかは横に置いておかれ、この私が! 素晴らしい、お胸!w ウケるww ということで頭がいっぱいになった。とりあえず残念なお胸ではないらしい。サイズはAのままでも、素晴らしいお胸! すごいワーディング、素晴らしいお胸!!

 産後2日目、母乳量を測ってみることになった。授乳前後で赤ちゃんの体重を測り、何g母乳が出たかをみる。結果、2g。私としては、2gも出たの?! すっごー! だいたい2mlくらいとして、小さじ2分の1くらい出てるやん! さっすが素晴らしいお胸~!! 
 隣の人は20g出ていた。しかし全然ひがむことなく、2gしか出なくても素晴らしいお胸ということで小躍り万歳していた。退院時には8gになり、その後45gまで出るようになった。すごいやん私の胸! 素晴らしいお胸~! 赤ちゃんは来るもの拒まずで、母乳もミルクも与えられるだけ飲んでくれた。

 退院直後はまだアドレナリン大放出で、3時間おき1日8回の授乳もやってのけた。左右各10分、その後ミルク、おむつ替え、と1ターンあたり1時間かかる。夜中は2時間寝られればいい方、赤ちゃんが寝なければそのまま次の授乳へGO。こんな細切れ睡眠の生活したことないけど、赤ちゃんがあまりにもかよわく、私が起きないと生命維持もできないよわよわの存在なので何故か起きれてお世話できる。
 男の人って赤ちゃん泣いててもほんと起きないよね。こんなにうるさいのにすごいなと感心し、夜は私と赤ちゃんだけで頑張る。昼も母乳をあげるのは私しかできないので頑張る。母乳あげてるとすごくお腹が空くので、頑張って食べる。

 しかし直母はしんどい。赤ちゃんが小さすぎて変な体勢になるし、同じ姿勢で10分x2じっとしておかないといけないし、赤ちゃんに母乳だけではなく何か生きるエネルギーみたいなものを吸い取られている感じがする。徐々に、頑張れなくなってくる。

 元々混合 or 完ミ希望で、今はミルク育児も普及していることもあり、助産師は母乳を勧めることもなく
「無理に母乳頑張らなくていいよ、ママの元気が大事だから、しんどかったらミルクにして」
 と言ってくれる。正しいアドバイス。
 今日は疲れた……。夕方の授乳はミルクだけにしよ。そうしているうち、1日1回、2回、3回とミルクだけの回が増えた。

 母乳は吸わせないと出なくなるので、あげたいなら吸わせないといけない。途中から「やっぱり母乳あげたい」は難しい。
 私自身、母乳あげたい、と思っていたわけでもないので、疲れに任せてどんどんミルクに移行していった。赤ちゃんは来るもの拒まずであげるだけ飲んで大きくなってるから何も問題はない。そうして、1日1回寝る前にミルク飲んだ後少し吸わせるだけになっていった。

 ある日の晩、もう少しで母乳吸わせなくてもミルクだけで寝るようになるな、という予感がした。そうか、この子のおかげで素晴らしいお胸を手に入れたけど、もうおさらばか。約3ヶ月、短い間だった。
 母乳あげたことのある人にしかわからない感覚だけど、吸われている間は独特の幸せな感覚になる。オキシトシンというホルモンのせい。あの感覚は何と比べることもできない。赤ちゃんが眠る前に、幸せを感じながら、授乳できるのもあと数日と思うと涙が溢れてきた。

「見果てぬ夢よ 永遠に凍りつき セピア色の化石ともなれ」

 ベルばらの最後、男装の麗人・オスカルは女として、アンドレに妻にしてくれと言う。アンドレはオスカルへの恋心をずっと秘めていた。二人が結ばれ、オスカルがアンドレにしがみつきながら、アンドレが発する名台詞。赤ちゃんが私にしがみつきながら、私も毎晩この台詞が頭をよぎっていた。

 こうして、素晴らしいお胸の見果てぬ夢はセピア色の化石となり、私と赤ちゃんは完ミに移行した。驚くことに、授乳をやめると元々平板だった胸がさらに完璧な平板になった。冗談もほどほどにしてほしい。不具の女、再び。
 でもいいのだ。夢が現実になった3ヶ月があったわけだし、赤ちゃんは順調すぎるほどすくすくと育っている。私も自分の身体が嫌いなわけではなく、日々幸せに暮らしている。それ以上何を望むことがあるだろうか。


 今は母親のケアがすごく重視されていて、助産師も母乳を無理に勧めることはない。授乳支援以外でも、周りを頼ったり便利グッズを活用することを積極的に勧めてくれる。持続可能に育児するために、とにかく無理せず手を抜いて、という指導は正しい。でも、直接母乳をあげることが幸せな体験だということを、どこかで知っておきたかったなとも思う。こんなことは一度経験しないとわからないのだろうけど。

 赤ちゃんへ、私のしょーもない夢を3ヶ月叶えてくれてありがとう。
 私の胸へ、平板なりによく頑張ったね。おつかれ。

《終わり》

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