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ちゃんとしている、ちょうどいい洗剤

私たちがいつも「洗う」ことで使う洗剤。

この洗剤と石鹸とを、何となく同じモノや言葉として使っていることも一般には多いですよね。
実は私も以前は、その違いを意識したこともありませんでした。
そして、「石鹸は安全で、合成洗剤を害だ」というイメージも、なんとなく広まっていますが、すべてがそうではありません。

メーカーが自分本位にモノを売るために、偏った情報を消費者に流し続けているのも事実で、私たちは日々振り回されています。

もちろん、これまでにも環境に影響する有害な洗剤や汚水による被害も多くあり、それが大きな問題になりました。
そうした環境を守ってきた方々のおかげで今日があり、メーカーへの様々な記載の義務や、使用規制などによる抑制にも繫がっています。

それでもまだ、川も海も汚れるばかりで、洗濯した後の肌トラブルは絶えません。

そんなこともあり、環境や健康などに関することは、どうしても極端になりがちです。
誰かを悪者にし、その一つを無くせば解決する・・・といったような敵と味方の対立構造を生み出すことはわかりやすいかもしれません。
でも、誰かを悪にすれば自分の立場が守れるというやり方で、社会課題が解決するわけでもありません。

パーム油を使っているのはダメ
界面活性剤もダメ
プラスチックもダメ
アレもダメ、コレもダメ・・・

もちろんこれらは無いにこしたことはありません。
でも私たちは、直接や間接的に、こうした様々な恩恵を受けています。
見えないところで、たくさんの犠牲を払って毎日があります。
その結果、衛生や健康、心理の面で恩恵を受けている事実があります。
だから、見えてるものだけで、知っているものだけで、そのひとつを攻撃しても、やっぱりそのしわ寄せがどこかにいき、新しい課題が生み出され、結果的に社会全体は良くなりません。

そして私たちの生活は、いろいろな技術の進歩によって、常識も日々変わり続けています。

過去に正しかったものが今も正しいとは限らず、
いま正しいものも、今後永遠に正しいわけでもありません。

私たちが使う石鹸でさえ有害指定されていますが、使わざるをえません。
そもそもその石鹸がどのような素材作られているのか、どのような過程によって作られているのか、見えないことはたくさんあります。

昔から使っているから石鹸は安全だ、合成洗剤メーカーの陰謀だという話もありますが、そういう正義と悪のラベルを貼っても、何も解決しません。

私は長年にわたり様々な社会課題を解決する活動や事業に携わり、社会起業家とともにいろいろな活動をしてきましたが、「犯人捜し」や「悪のラベル貼り」が目的になってしまい、社会が置き去りになっている現状を見て悔しい思いをすることがたくさんあります。


もう少し、みんなで、冷静になりましょう。

何か1つだけを悪者にすれば、
問題の全てが解決するわけではないのですから。


「海をまもる洗剤」も、カンペキなものではありません。

これからずっと、理想の姿を追い続け改良を重ねていきますが、現時点で私たちが考える

「ちゃんとしている、ちょうどいい洗剤」

にたどり着きました。


「ちゃんとしている」とは、嘘をつかず、お客さんを煽らず、関わる人を騙さず、社会のルールを守って、社会と未来のことを共に考えていくという姿勢で、エシカルとも言われます。残念ながら現代にSDGsが必要なように、ちゃんとしていないことがたくさんあります。

「ちょうどいい」とは、環境と洗浄力を諦めず、使い続けられることです。いまできる環境への負荷を最小限にし、洗剤の影響や汚れの影響、洗濯槽のお掃除や排水口や下水処理場なども含めて、誰かに汚れのしわ寄せをしないで「罪悪感をできるだけ小さく」できる洗剤です。


この「ちゃんとしている、ちょうどいい洗剤」が、

環境と洗浄力をあきらめない
罪悪感フリーのエシカル洗剤

という表現になりました。



社会課題は本当にたくさんありますし、まだまだ改良していかなければならないことはたくさんあります。

私たちの洗剤が課題の全てを解決することはできませんが、「森で作られた豊かな水を、そのまま海に届ける」というミッションで、海をまもっていきたいと考えています。

このミッションに共感をいただけるみなさんとともに、一緒に洗剤を育ててください。
そしてみんなで「洗う=汚す」ことへの意識を高め、より良い社会を作っていけたらと思います。


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