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人とどう付き合いたいのか


わたしは現在、複数のプラットホームを持っている。ひょんなことで始めたけれど、それでも、こんな動き方を始めたことで迷いも生じている。

一番の迷いは、時間がなかなかとれないこと。もちろん普通の暮らしもある。だからこそ、自分はこのままでいいのだろうかという一抹の不安が育ってきているのだと思う。

そんなことを近頃感じていたからだろうか、昨夜、インフルエンサーさんのお一人が書かれたブログの内容が身に染みた。

その方は、文字を書く時に常に気を付けていることがあるとおっしゃる。それは丁寧であること。このnoteにもそんなインフルエンサーさんがいらっしゃる。丁寧で、静かな文章を書かれている。読むだけの関係だけれど、それでもその方はきっとこんな方だろうと勝手にその人物像まで作り上げて読んでいたりする。

わたしはSNSに強すぎる刺激は求めていない。

SNSでは、普段の暮らしでは出会えない人と出会える確率が高い。だからこそ、幾度その人のテキストを目にしても、その人らしく、ああそうだよね、と思えて安心できる人のブログが好きだ。

これはリアルな人間関係とよく似ている。

わたしが今悩んでいるのは音声配信だ。文字は何度でも書き直せる。あゝ、この表現は少し強すぎたなと思うと、書き直す。書いたその時点ではそうでもなくても、全体から眺めてみると少しちぐはぐだなと思うと修正することもできる。

けれど、音声配信はそうもいかない。話すという行為は実はとても簡単なようで、難しい。それなら収録配信をしたら問題は解決するのだけれど、そんなこだわりを持っていては時間ばかりかかって先には進めない。

これは恐らくどんなことでも通る道なのだろう。最初は簡単そうだったことが、だんだんとその難しさを知り、ぞっとしたりする。今、わたしは話す事の難しさに気づき始めているのだと思う。

だから、沢山の人に聞いて欲しいと思う一方で、ほんの少しの人に聞いて欲しいと思っている。実際に、そんな苦しさが嫌になって離れていった人も何人も知っている。

話す時には割とシンプルな回線を潜り抜けて言葉が外に出ているような気がする。だから記憶にもなかなか定着しない。けれど、それが後から静かに自分に向かって津波のように押し寄せてくることがある。これが怖い。

そう、言葉が怖いと思うことがある。

だから今は馴染みのある人たちの中で、静かに配信したい。また、このステージもいつか超えられるのだろうか。それも今はまだ分からない。

そして、昨夜目にしたインフルエンサーさんの文章には、たとえ攻撃的な、あるいは、からかい半分のコメントが来ても丁寧に返しますと書かれていた。これは凄い。おそらく桁違いのフォローワーのいる方には、桁違いの様々な反応が返ってくるはずだ。

それでも、必ずコメントには返事をしますと書かれている。もちろんプラットホームの種類にもよるとは思うけれど、ただそれを実践してこられたからこそそんなことを書かれているのだろう。

彼は、コメントは書き手の本質が表に出る場所で、そのやり取りには直接触れずとも、実は多くの人がそのやり取りを目にしていて、そしてその人の人となりをみている場所でもあるとおっしゃる。

だからこそ、しつこいコメントにはより丁寧に、そして、心配して見守っていた周りの人たちが唸るほどの返信ができるようになると一人前なのだと書かれている。

覚悟が違うなと思う。

だから、わたしはそうした人たちといつか繋がりたい。それは、リアルな社会とも違う、実に繊細でありながら、太く堂々と日々歩かれている人のパワフルな言葉だと感じている。

どんなに時代が変わっても、人の本質は変わらないということを、わたしはこうして時々思い知る。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


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