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繰り返すことで、人は豊かになっていく


なにかを続けることはそれほど苦手ではない。続けた先に思わぬ変化があるのをスポーツで幾度も体験してきている。

その繰り返しの先で、階段をのぼるように上達し、ふいに苦手だったことができるようになる。

ただ、わたしはそこそこ上手くなると、また別なものにチャレンジするタイプ。だから笑っちゃうほどいろいろな経験をしてきた。とにかくよりなのだ。

よって、こんなタイプは、極めるというところまではたどり着けない。すぐに、もういいかな~と、ある日、完全にそこから離れてしまう。


ただ、何者にもなれない、そんな繰り返しもまた悪くないかなと思えるようになった。


たとえば、49歳で大学生になった時、統計学とミクロ経済学が必修だった。これは受験を終えたばかりの学生でさえ単位を落とす曲者の学問だ。

ところが、わたしは自慢じゃないけれどこれを普通にクリアした。もう大人だし数学から何十年も離れていた。それでも、なぜこうも長ったらしい公式を10数個も暗記しなきゃならないのかということが、ある時ピンときた。これがたまらなくいい。

最初は仕方なく公式を覚える。若くはないので暗記することが難しい。それでもテニスの素振りのように一個ずつ暗記していく。そしてテストまであと数週間というところで暗記完了。ただその使い方は分からない。

そこから今度は一週間程、公式と計算を組み合してはほどく、を繰り返す。すると、ある時、この公式はこう使うのか!とピンとくる。

それからテスト直前になって、数字がブロックのような塊で見えてくる。な〜んだ、こんなことだったのかと思う。公式を使うとこんなシンプルな塊に見えるんだ~と言いながら、分母と分子をザクザクと消していく。

まあ、数学頭の人が読むと、あなた大丈夫?と言われそうなことを書いているのだけれど、それでも、あの統計学とミクロ経済学で確信したことがある。それは、数学的ななにかが発動して分かるようになったわけじゃない。人生経験のストックの中を泳ぎまわっていたら、偶然見つけたのだ。それが解だった。

コツコツと続けていると、その先にくる変化がある。だから放り出したりはしない。そんなものが沢山わたしの人生を通り過ぎ、経験として残った。

それは数字であり、誰かの言葉であり、顔であり、手であり、匂いであり、温度であり、色であり、音であり、不快な気持ちであり、喜びである。そんなバラバラなものが詰まれば詰まるほど、人の思考の材料は豊かになる。そして、いろいろなことがなんとかなるようになる笑。

数学が難しいわけじゃない。難しいのは、それが見えていないことを、自覚できているかどうか。

何かが出来ない時には理由がある。嫌というほど繰り返しても肝心なものが見えていない。

けれど、ふとした時に、最初からそこにあったものが、ふと自分の目に飛び込んでくる。

数学の専門家になりたいのなら、それを真っ直ぐ極めればいい。

けれど、数学が極められない人は、色々なことをやってみるのがいいと思う。繰り返すと、できなかったことを超える経験をする。だから繰り返す。すると、見えていなかったものがある日驚くほどクリアに目に飛び込んでくる。

あとは書くだけだ。

noteを毎日書き始めて10か月目になる。

ただ書くことならきっともうわたしは10数年続いている。

これほど一つのことを長く続けたことはない。

そしてわたしは、間違いなく豊かになっていく。

それなのに、書くことでピンと来るものにまだ出会えていない。

だからまだ、わたしは書くことに飽きていないのだと思う。



※最後までお読みいただきありがとうございました。


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