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電車の中で感じた父の愛


日本には母性神話がある。女性には生まれながらにして母性本能がそなわっている、だから子育ては母親がするのが自然という考えだ。

けれど、父親にだってそれはある。神話はどこまで行っても神話なのだ。


わたしは今日、電車の中で、慈しむようにお子さんを見守られているお父様と出会った。


それは日曜の昼過ぎ、地下鉄に乗ったときのこと。車内はそれほど混んではいなかった。

暫くすると親子が乗ってきて、わたしの左隣にお父さんが、そのお父さんの左隣に息子さんが座られた。

すると息子さんが大声を上げた。一斉に皆が振り向いた。と同時にお父様が少し緊張された様子が伝わってきた。

けれどその方は息子さんに向き直り、小さな声でなにかを囁かれた。少しも慌てる様子がない。落ち着いているのがわたしにも伝わってくる。

それから息子さんは、椅子の下やポールを叩きはじめた。大きな音がした途端、またもや車内で人々が振り向く。再びお父様に小さな緊張が走った。

けれどお父様は、また先ほどと同じように息子さんに何かをささやかれた。


お2人とは5駅ほどご一緒させて頂いただろうか。

その間、わたしはだんだんと左隣のお父様に惹かれはじめた。

車内の人々に気を配りながらも、その方は決して息子さんを責めたりはしない。慌てて黙らせようともしない。

この方はずっとこうして息子さん歩いてこられたのだろう、それはもう疑いようのないことのように思われた。

二人の間にある大切なもの。外への気配りをしつつも、そのお父様は息子さんを実に大切にされているのだ。

そのお父様とお話してみたいと思った。子育てについてどんな思いをお持ちなのか聞いてみたいと思った。いや、そうじゃない。ただ人として言葉を交わしてみたいと思った。

わたしの人生で、あと何人、これほど優しい人と出会えるだろうと思えるほど、そのお父様は優しい人だった。

そんなわたしはといえば、出がけに娘とちょっとした口論をした。きっかけはわたしがネット関係の質問をしたこと。外出の時間が迫っていてつい娘を頼った。

すると娘は手厳しかった。ちょうど試験前で忙しいのだ。わかっていたはずなのに、聞けば応えてくれるかなと甘えてしまったのだ。よくあることだ。

電車の中での親子をみて、お父様をみて、わたしはいったい何をしているのだろうと思った。

母性本能なんて簡単にいわないで欲しい。

そんな言葉で何かを一まとめにしないでほしい。

人間はそれほど単純なものじゃない。

父親にだって母親と同じように、子どもに対する深い愛情がある。

当たり前のことなのだ。

神話は幻想だ。

今日はそんな親子の姿がいつまでも心に残った。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

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