繰り返すことで身につく「わたしなりの勘所」
わたしは今noteとスタエフにハマっているのかもしれない。
いや、きっとハマっている。
それは昨日のこと。
「のようなスタエフ落語会」のお師匠さんとスタエフでコラボをさせて頂いた。で、その前に慌てて落語を一席アップした。
それがこちら。
ところが、この演目の「芝浜」、落語の中でも大ネタ中の大ネタだという。
そんなこととはつゆ知らず掟破りとまでいわれる大ネタを5席目のわたしがやってしまった。知らなかった。
どの世界にも掟がある。
特に歴史の長い芸事にはそれがある。
お師匠さんに落語ちゃんとやってますねといってもらおうと慌てて取り組んだ一席だった。もちろん悪気など無い。
ただ面白いことに、落語ネタはちょいとおっちょこちょいな人物をテーマに描かれるストーリーが多い。よってここはそんなキャラでお許しいただけた。とはいえ、この「のようなスタエフ落語会」は何をやっても自由な会でもある。そこもまたなんとも楽しい。
さて、noteも連続投稿140日が経過した。
もちろん日々色々なことが起こる。
落語もその一つ。
以前ならはなから諦めたチャレンジだと思う。なにしろ今は時間が無い。介護中でもある。やれるはずないと寄り付かなかったはず。けれど今はやってしまう。
とはいえ自分にちょっとした負荷のかかる小さなチャレンジはキツイし面倒だ。
それでも一歩踏み出してみる。
すると自分の中で何かが変わる。
能動的だなんて言葉があるけれど、ほんとうにそれはただ動くのではなく、動くことで誰かに働きかけることなんだと思う。
それがここネットでできる。
そこがなんとも面白い。
数年間インプットばかりしてきたわたしが今はアウトプット中心。たかが3か月ちょっと、されど3か月ちょっと。
この間プライベートでは幾つかの出来事があった。止めてしまうことは簡単だけれど、あの時も、あの時も、あの時も止めなかった。そうして続けてきたからこそ自分なりに磨かれたスキルがある。
繰り返すことでわたしなりの勘所が身に付いた気がするのだ。
その勘所を今はAIが身につけようとしているらしい。言葉と言葉の間を行き来するAIが、その行間を埋める言葉を見つけて行間を繋ぐという。
おそるべし。
勘所は同じようなことを繰り返すことでしか身に付かない。それは人も人工知能も同じらしい。
ただ、わたしが獲得したわたしなりの勘所はAIのそれとは違う。
少なくともわたしにはプライベートがある。
わたしは凪の日も、さざ波の日も、波の荒い日も書きたいと思っている。もちろんあしたの気分は分からない。それがAIにかなわない人の弱さ。
けれど黙って学び続けるAIにはプライベートな時間は流れていない。そこがわたしの、そう、人の強み。
わたしなりの勘所はわたしの暮らしをほんの少しだけ先へと送ってくれる。
そこがなんとも希望に思えて、わたしはまだnoteにハマってる。
※イラストはみんなのフォトギャラリーの齋藤はじめさんにお借りしています。ありがとうございます。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。
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