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イブの今宵。色褪せない香港の日々へ
旅に出られなくなって久しいですが…。
知らない街で、その地に住む人と出会い、おしゃべりして、食事する。それは、心に残る大切な宝物。
イブの今宵、サンタさんのソリに乗せてもらい、ちょっとだけあの頃の街を覗きに行ってきます。
香港アートセンター
転勤命令が下りて一足先に現地へ飛んだ夫に数か月遅れ、香港のカイタック空港へ到着したのは、まだ香港がイギリス領だった頃の春の日でした。
大勢の視線が注がれる中、大きな荷物をカートに乗せ、緩やかなスロープを下りながら夫を探していると、最初に出迎えてくれたのが、体中にじっとりとまとわりつく熱を帯びた外気でした。
出発前のあわただしさで、詳しい現地の情報も仕入れることなく滑り出した新しい生活でした。
到着した翌日から街歩きを始めると、間もなく、香港の九龍半島と香港島を繋ぐ電車、MTRで動けるようになりました。
そんなある日、香港島の湾仔という駅で下車して歩き始めると、のっぽの白いビルの看板に香港藝術中心の文字を見つけます。それが香港アートセンターとの出会いでした。
そこには多種多様な芸術クラスが用意されていて、その中に面白そうなコースがありました。週2回、1回3時間、3か月、木炭を使って裸婦をデッサンするというコースです。講師はイギリス男性。面白そうと、既に始まっていたそのコースに、途中から参加させてもらうことにしました。
女とは限らない
初めての異国では、後で考えればクスリと笑えるような、そんな経験を幾度もしています。たとえば、イギリス人女性と会う約束をしていて、そんな処に、黒人女性がやってくる。考えてみると少しも不思議ではないのですが、目の前にその人が現れるまで想定さえしていない私は、一人ぎょっとするのです。
…
そのデッサンコースの初日、予約の際に聞いていた部屋番号を確かめてドアをノックしてみます。けれど返事はありません。目の高さより少し上にある小さな四角い窓の縁に両手の指を置いて、背伸びして覗いてみるのですが、よく見えません。
仕方なく、重たい鉄のドアを押してみます。すると、そこには明るく清潔な狭い部屋がありました。で、そこに居た気難し気な金髪の男性がこちらをチラリと見たのです。どうやら、彼がイギリス人講師のようです。ただ私に構う風など、少しもありません。その傍で、数名の男女が、各々に黒色のイーゼルをセットしています。
そのイーゼルの間からクラスの中央が見えました。そこには既にモデルさんが横たわっています。すらりと伸びた白い肢体を持つ、背の高い金髪の男性でした。これが香港で初めて出会った、ぎょっとした出来事でした。
描く?描かない?
その日からヌードデッサンが始まりました。イギリス人講師は時々は受講生のデッサンにコメントをしますが、大体はクラスの端のテーブルで黙ったまま静かにスケッチをしています。
自由なのはモデルさんです。休憩になると彼は、”どう、描けた?”とばかり、イーゼルの間をふらふらと歩くのです。しかも一糸まとわぬ姿です。
私のデッサンも時折見に来ます。日本で裸婦は何度か描いていましたが、私の知るモデルさんといえば女性のみ。しかもモデルさんと会話したこともありません。それなのに、その当人に絵を覗かれるのです。
で、困るのが、私の体に無いものを描くのが礼なのか否かという問題です。あまりにもたもたとしていては不自然ですが、それでも描くことにはなんだか強く抵抗を感じるわけです。そんなところへモデル本人がやって来て、絵を覗くのです。緊張ばかりが走ります。
絵のお友達
そして、いつしか私は一人の女性と知り合っていました。彼女は日頃、数時間で油絵を仕上げるという商業画家さんでした。見せてもらった小さなアルバムには、「香港の夜景」、「船上生活者の船が集まる海」、「中国式帆船」等の絵の写真がズラリと並んでいます。
それから、年上のその人とは間もなく、香港島の湾仔という地域にある画材屋さんへ出かけたり、飲茶へ連れて行ってもらったりと、楽しいお付き合いをするようになりました。
ただ会う時は、いつでも彼女の友人が一緒です。英語が堪能な方です。そう、商業画家さんは英語が話せないのです。それでも、彼女がどれほど優しい人なのかは一緒に居れば誰にだって分かります。
食事とアートと
その人は、何度か我が家にもやってきました。良くリクエストされたのがおうどんでした。一番だしで作るおうどんに目がなくて、牛肉とネギを油炒めした品を加えて出すと、スープを残さず飲み干します。食の香港、だしをしっかり取った品は、舌の肥えた香港の人にはちゃんとわかります。
そんな彼女が誘ってくれたのが、所属する香港アートクラブの日帰り旅行。まだ歩けない子どもを夫が抱き、私が画材を両手に参加しました。
それはなかなかの遠出です。香港には、九龍半島と香港島を海底で繋ぐMTRと呼ばれる地下鉄があります。ただその目的地は、MTRではありません。九龍半島を東西に繋ぐローカル線に乗って最西端の屯門駅で降ります。そこからさらにミニバスに乗り込み、田園地帯へと向かうのです。
そうして揺られていくと、狭くて小さな香港では一度も見たことのない、静かで豊かな自然が広がる景色があらわれるのです。目的地へ到着すると、大勢のメンバーが、それぞれ気に入った場所を探して絵を描きます。
帰りには揃って食事ですが、残念ながら我が家は参加することなく帰路に着きます。香港はどこに行っても食べ物が美味しいのですが、夫も私も鳥の足がかなり苦手です。それを伝えても、遠慮していると勘違いされると、それはそれで実に大変なことになるのです。
言葉と電話
それから数年後、我が家は帰国して東京で暮らし始めました。
そして、帰国して2年目の夏の日のことでした。昼間、一本の電話がかかってきたのです。
その声は、あの商業画家の彼女の声です。今大阪にいるというのです。ところがそれ以上のことが何一つ分からないのです。何かを伝えようとしているのですが、それがどうしても分からない。私は慌てて、大阪のホテル名を尋ねたり、こちらの住所を伝えてみたり。つたない英語で必死に話すのですが、どうにも伝わりません。ついに彼女は諦めて電話を切ってしまいました。
そう、私達はいつも誰かを介して語り合っていました。
受話器を置くと、がっかりした彼女の顔が見えるようでした。きっと彼女はどこかで会いたかったに違いありません。
帰国が決まったと報告したあの日、彼女は静かに笑っていました。それから数日後、ご夫婦で家に招いてくださり、旦那様が大切に集めてこられた茶器の中から一式を選ぶと、それを手渡してくれたのです。小さな茶色の器のセットと小さな急須。
それから何度もハグされて、涙を拭き合ってお別れしました。言葉は通じなくても、その人が優しい人だという事は誰が見てもわかります。
結びに
知らない土地で、知らない暮らしをしてきた人と会い、語り合って、食事して、そんな経験はどんな学びより大切です。
一歩外に出て、人と知り合うと、同じ人間なんだと思わずにいられません。
今は離れ離れです。
あの人はお元気だろうかと思うばかりです。
イブに覗いた、あの暑くて賑やかな日々はちっとも色褪せていませんでした。そして、ちょっぴり鼻がツンとします。
それでは、皆様、良いクリスマスを!
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