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デジタル・デトックス、限界を知る

昨日から、携帯を家に置いて外に出ている。

携帯を常にチェックする生活を3カ月強続けてきた。だから今は、チラチラと落ち着かない女になってしまっている。

抜かなきゃ。

入れすぎたものは出すしかない。


ただ、これは笑い話しではない。

本当に侮れない。

人間には誰しも限界というものがある。

わたしは恐らく限界を超えてしまっていたのだと思う。


まあ、ちょっとだけ、ここからお恥ずかしいお話しをしてみようと思う。

自分でも心配した。わたしは壊れてしまったのだろうかと心配した。


11月17日から30日間、クラウドファンディングを立ち上げたけれど、準備は既に9月からはじまっていた。文章作成までにやるべきことが山ほどあった。

その過程で、多くの人とのlineやメールのやり取りが始まっていた。ここで運悪く母が倒れ介護認定に走り回った。その途中、あなたのためのクラファンだろうという外野の声に心折れ、ならばと起業した。

あらゆるところで契約書を交わした。法人代表のわたしも、契約書を作成しサインをいただいた。ぶっちゃけ、初めてのことばかりだった。

母が倒れてスケジュールがぐちゃぐちゃになり、一旦予約した講演会の会場を全てキャンセルさせて頂いた。講演会のゲストとして来て下さる方の予定も変更して頂いた。講演会はクラファンのメインのリターンだった。

もうこれ以上のリスケなら、止めにしようと気持ちを切り替えて動き出し、講演会も、担当の方と相談してギュウギュウの日程で詰め込ませて頂いた。土日に会場の空きがなく、誰も来ない講演会になりそうな予感もあった。まあ、その時は一人で話す練習でもするか、と腹をくくった。

予定していた何かが一つでもズレ込むとすべてがおじゃん、そんなギリギリの予定で動いていた。動画も大慌てで撮影し編集してYouTube動画としてアップした。

そうして、10月26日に法人となり、そこから銀行開設がなんとか間に合い、個人で申告したプロジェクトを法人に変更してもらったのが11月5日過ぎ。

そこかクラファン側の審査が始まった。

てなわけで、わたしはスタート時に既に恐ろしく疲弊していた。

クタクタというよりはフラフラだった。

夜中までデジタル漬けの日々だった。


ビックプロジェクトに携わる世の人には普通にあることだろう。けれど、わたしはデジタル音痴世代だ。とにかく何もかもググルとセットの動きで、恐ろしく時間がかかる。

クラファン1週間目の頃、わたしは汚れた二枚蓋の土鍋を洗おうとしていたはずなのに、ご飯がこびり付いたその土鍋に、お醤油をドボドボと流しいれていた。たまたま通りかかった夫が驚いて声を掛け、我に戻った。

そこから3日間、ぼんやりと体を休めた。

限界だった。

その数日前から、身近な人にクラファンをすると言っただけで激高されていた。もちろん、ご支援して下さった方も多かった。けれど、同年代の女性の数名がわたしから見ると豹変された。

いったい何が起こっているのか理解できなかった。

それでもプロジェクトオーナーとしては、自分の周りに声を掛けなければどうしようもない。わたしは女性の働き方を変えたいのと電話し続けた。

その途中、クラファン自体が駄目なのか、わたしがクラファンをすることが駄目なのか、わたしが活動をすることが駄目なのか、この活動の内容が駄目なのか、激高する知人の言葉を注意深く聞いていても、どうしても理解出来なかった。

「なに、パーティー券のような話」「女の敵は女よ」「わたしはもうかつての私じゃないのよ、強くなったのよ」などなど、よく分からない単語が雨のようにわたしの体に降り注がれた。

ソレッテ、ドウイウコト?

ソレッテ、ナンノコト?

ナゼ、ソンナ二イカルノ?

そうそう、クラファンをすると人間不信になるよと言われたのだ。

やっぱ、なるよな。

もっと早くその言葉を聞いておきたかった。

それから、「わたしは大きな力を持つ人に見いだされ今修行中です。 社長など誰もが孤独なのですよ。ですから、わたしはあなたのメンターになってあげます」と年下の女性からレターが届いた。すでにかなりお偉いとみえ、上からのコメントやレターが何度も届き気が滅入った。その大きな力とやらで、そっと応援するのが誠の優しさというものではないのだろうか?

リーブミーアローン。

そこから、わたしは何度も夜中に飛び起きるようになった。

クラファンが終了するまで、それが続いた。

「あ!YouTubeをアップするの忘れてた!」と飛び起きて、

「あ!クラファンアップするの忘れてた!」と飛び起きて、

「あ!スタエフの別なアカウントの配信を忘れてた!」と飛び起きた。

現実にはないことを恐ろしく心配して飛び起きてしまう。一人、最悪のことをしてしまったのではないかと考えはじめる。

で、夜中、一人廊下をうろうろと歩いたのだった。

ワタシハ、コワレタノ?

考えようとしていることも自覚しているし、廊下を歩いているいことも気づいている。けれど、それでも、何か大変なことが起きてしまったという心配がわたしをうろうろと歩かせた。

家族を起こしてしまったことも一度ではなかった。

家族も心配した。


それでも、わたしは運が良かった。わたしの身に起こったのはその程度のことだった。


そして、現実は想像以上に素晴らしかった。面白いことが起きはじめていた。驚くほど思いやり深い本物の人たちと出会いはじめたのだ。

沢山の方がメールやレターを何度も何度も送って励ましてくださった。しかも、普段はあまり関わってこなかった人たちからもそうしたレターが届き始めた。彼らは知的で、謙虚で、実に思いやりに満ちた人たちだった。

だから、わたしはもう人間不信という言葉は使えない。

そう、わたしは最高の幸せ者だった。

3カ月強で、わたしの脳はキャパオーバーというサインを発した。ほんのちょっとしたことで脳が混乱することも分かった。

パソコンから離れるだけで交感神経と副交感神経はみごとに回復する。壊れた機械と人の脳はちとちがう。壊れかけた脳は、デトックスでまた回復できる。

でも、行き過ぎると、回復可能なのかはまだ不明だ。要注意だと思う。

わずか3カ月、この世に本当に思いやり深い人がこれほど沢山いらっしゃることに気づけたことは、わたしの宝になった。そんな人たちは、わたしが最も苦しい時に何をして欲しいのか、わたし以上に知っていた方々だった。

沢山の人と知り合い、学び、そして、自分の限界も知ることになった。

時に人にはデトックスが必要だ。


※最後までお読みいただきありがとうございました。

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