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すべてのことに定められた時がある


きょうは3月最後の日曜。

ついにこの日がやってきた。

1月から毎週末向き合ったHP作り。

3月末なら余裕で完成するだろうと少し甘めの予定を組んでいたけれど、無情にも時は飛ぶように過ぎ去った。

まだHPは完成していない。


作家で元外交官、そしてキリスト教信者の佐藤優さんが、こんな旧約聖書を紹介されている。

何事にも時があり

天の下の出来事には

すべて定められた時がある

生まれる時、死ぬとき、

・・・・
 PRESIDENT2020.7.17号P18~ コへレトの言葉 3章1節~11節


何を大げさな、と笑われるだろうか。

けれど、この言葉が今のわたしにはしっくりくる。

この3か月、空回りばかりしてきた。

ほんの僅か前進しては停滞の繰り返し。


果てしなく続く作業。

時間を奪われる作業ならこれまで幾つも超えてきた。

けれど、HP作りは少しばかりわたしには荷が重すぎた。

佐藤優さんが、聖書の言葉の意味が本当に分かるようになったのは社会人になってからといわれている。

すべてのことにはがある。

重要なのはその感覚を身に着けることだと。


その言葉をここで持ち出す?

はい、たとえおかしくてもわたしはその言葉をここで使いたい。

なぜって、昨年は一度諦めたから。

それをもう一度仕切り直して取りかかっているのだから。

遅々として進まず、疲労と焦りで今は体がひどく重い。

それでも、わたしはもう投げ出したくない。

考えてみると、自分でやってのけたようなことでも、それは機が熟した時だったと思えることがある。

別な時ではそれは決して成し遂げられなかったはず、そう思えたことがあった。


時が満ちていない時には、どんなに頑張っても出来ないということ。

なんだってそんなものだ。


自分の力でやってのけたと思うことはやはり傲慢だ。


だから、今、若者と自分との違いは年齢差ではなく、PCに触れた時間の差だと自分に何度もいい聞かせている。

彼らとわたしの違いはたったそれだけ。


今日も、PCとモバイルの画像のサイズをメモっておかなかった自分に呆れ、苛立った。

ググったものを都度メモしない愚かな自分。

ググるのが面倒。

それならメモしておこうよ自分。


それでもわたしはWordPressのHP制作を諦めない。

笑っちゃうほど時間をかけた。

おそらく1000回ほどネット検索した笑。


完成までもうひと踏ん張り。

全てに定められた時がある。

それはわかる。

わかった上で今月中にアップする。

それがわたしの

きっと出来る。

それを信じて進むしかない。

もうクタクタだけれど。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。


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