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吉兆ね、と思えた遺影撮影


昨年秋に倒れた母から、思いがけない要望があった。遺影がないわと。写真を撮らなきゃと。

もううる覚えだけれど、家族に支えられ、大騒ぎして初めて2人でお風呂に入れた時だったような気がする。湯船で、母がなんとも幸せそうな顔をした。あゝ、お風呂は気持ちいいねと。髪が伸びてすっかり白くなっていた。今ではまた元に戻ってはいるけれど、あの頃は体の筋肉が消え、入れ物の皮がしわしわに骨にぶら下がっていた。

そんな時に、遺影の話だ。

聞こえないふりをしたけれど、母がもう一度、写真を撮りたいとはっきり口にした。田舎では母の叔父にあたる人が、毎年遺影撮影をしていたという。夫婦で撮影している人もいるという。今流行りの終活かと思ったら、どうやらお寺でのことらしい。

そう言えば、母の知り合いで認知症になった方が何人もいる。60代で認知症になった方も数名いらして、それからちょっとしたケガで入院して、帰ってきたら認知症になっていたという話しなどよく耳にする。そんな話を伝え聞くと、母はもうその友達に電話をしなくなる。少しだけでも話してみたらいいのに、と思うけれど、母にも思うところがあるのだろう。

元気でいる時に写真を撮っておきたい、そんな希望だった。遺影だなんて、写真が撮りたいで良いじゃない!とちょっとだけムキになったけれど、あゝ、そうかと思ったりもした。

亡き父の写真は満面の笑顔だ。この笑顔にどれだけ救われたことか。

毎朝、わたしは父の写真に手を合わせ、お茶とご飯をお供えする。ちょっとだけざわざわするような出来事に遭遇すると、父の写真に向かって話しかけたりもする。わたしは大変に父を尊敬していたのだ。

そういえば、亡くなる前夜、わたしに向かって父は「母さんをよろしく頼む」と真顔で言った。舌が痺れて会話が出来なかったというのに、その言葉だけはどうしたわけかはっきり理解できた。心配だったのだろう。何度もそう言われた。「大丈夫だよ、心配しないで」なんて言ったけれど、まさか一人故郷から離れて暮らすわたしの家に、数年後母が一人でやってきた。

退職してからの父は実に母に優しかったなあと思う。国内外に仲よく出かけて行っては、母に似あう服などを買って母を喜ばせていた。お陰で母は今もちょっとだけ我儘で、少女のように甘えん坊なところがある。

その母がわたしの写真を用意してというのだ。いいではないか、それなら奇麗に撮って頂こうと、stand.fmで仲よくして頂いているさとみんさんに家まで来ていただき撮って頂いた。室内だとどうなのかな?と思ったけれど、まだ母は戸外へは出られない、選択肢はない。

というわけで、天気のいい朝、さとみんさんが大きな一眼レフを片手に母を撮って下さった。

わたしはその朝、いつものように慌ただしく、彼女がいらっしゃるまで部屋に籠っていて、母とはすれ違っただけだった。母が一体どんな服を選ぶのか確認できていなかったけれど、母は花柄のカーディガンを選んでいた。

なるほどね、と安心した。これならきっと明るくなるなと嬉しくなった。

その写真を昨夜、送って頂いた。素晴らしかった。南向きの窓を背にしているので逆光では?と思うのは素人考えだったようで、ストロボの光で、母は輝くような光の中で笑っている。少しだけグリーンやお花も背景に入れて、まるでシニアモデルね!とからかうと、母はまんざらでもない。恥ずかしいといいつつも、かなり満足したようだ。

遺影といわず、母のベッドに飾っておこうと思う。とても親切にして頂いている訪問医さんやケアマネさんや理学療法士さんに、きっと嬉しい感想を言って頂けることだろう。

あと数日で母は90歳になる。

こうしてまた元気になって、わたしはもう家がいいの、デイケアにもデイサービスにも行かないからと決めてしまったようで、一人でコツコツと体操をして外を歩けるようになりたいと頑張っている。

まあ、母はきっと幸せなのだろう。

※最後までお読みいただきありがとうございました。



※スタエフでもお話ししています。


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