言う?それとも言わない?
たとえば会社の上司や同僚に、
たとえば友達に、
たとえば夫、もしくは妻に、
たとえば親に、もしくは義理の親に、
嫌だなぁと思った時、あなたはそれを口にしますか?
暗示
頑張らなければならない
先日、意識について内科医さんとお話しをさせて頂いた。
その先生が無意識が健康を害することがあるといわた。
ある思い込みで一つの行動が止まらなくなる。たとえば親に頑張らなければいけないと繰り返しいわれると、交感神経が緊張し続け、いろいろな症状が出てくることがあるという。
言わない方がいい
一方で、心配症の親はどうだろう。
おへそさんはお母様に結婚当初から「色々言いたいことがあるかも知れないけれど、言わないのが正解なんだから」と言われてきたとおっしゃる。
これはキツイ。
なにしろこの言葉からは経験が嗅ぎ取れる。余計なことを言ったばかりに○○してしまった、という文脈。それを経験の薄い側が打ち消すことはなかなか難しい。おへそさんは、
と問われている。それから
とも。けれど言わないことで職場では損な役回りを押し付けられることがあったと。
良かれと思った母のアドバイスが子どもを動きにくくすることがある。
女性だから
おへそさんは、結婚を機にアドバイスされている。ここがポイントなのかもしれない。幸せになって欲しいという親の願い、そこには夫や夫側の家族に対する配慮までもが含まれる気がする。あなたは我慢するのよという思いも透けて見える。
80代後半の母もそうだ。わたしが一軒屋暮らしをはじめた遠い昔、ゴミ問題が勃発した。家の前のアパートのゴミ置き場をご近所の方に掃除しろといわれたのだ。その時母に電話で相談すると、あなたが3年掃除しなさいといわれた。ご近所で波風を立てるなと。
母はそうやって自分を消して生きてきた。母の人生をちゃんと知っているわけではないけれど、それでも母には多くの試練があったはずだ。
言わない選択は女性の側に求められることが多い。いい人でいて欲しい、そんな願いがあるのだろう。けれどそれでは自分の感情までも消してしまう。嫌だなと思ったことを決して口にしない。けれど気が滅入る、それでも言わない、そんな選択を続けると、ついには言えなくなる。言うことそのものが怖くなる。
家の中で多くの女性がいい人で、いい妻であって欲しいと願われる。けれどそれでは自分の気持ちが隠れていく。繰り返された言葉は女性を一定の場所に留め置く力を緩めない。
おわりに
繰り返し言われた言葉が無意識となって体の底に沈んでいく。ただの言葉だと侮っているとひどい目にあう。そこから逃げられなくなる。
けれどこの厄介な無意識さえも脱ぎ捨てることは出来る。母は東京で暮らしはじめて3年が経過して、言う人へと変化しつつある。わたしは何も言わなかったから、と口にすることがある。母自身にも親から刷り込まれた言葉がある。特に母の世代の女性は、守りの戦法のみ伝授されていたりする。けれど受け身だけでは人は全てを防御することはできない。
言う言わないはその時々で、その相手次第で変わっていい。我慢ばかりしないほうがいい。相手を見て対応を変えたっていい。そうして賢く勉強したらいい。そんな柔軟で生きやすい言葉が特に女性を楽にするのだと思う。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。
こんなお知らせをいただきました。ありがとうございました。
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