見出し画像

まだ消化不良だけれど、少し書いてみようかなと思う


ようやく近頃、本を読む余裕がでてきた。そしてまあまあ消化不良だなと感じている本がある。本のタイトルは『母親になって後悔している』。2022年に発売されたこの本はタイトルがセンセーショナルだ。母親になりたくないではなく、母になって後悔しているというタイトル。

帯には、「これまで語られてこなかった言葉が溢れ出す」とか、「世界中で共感を集めた注目の書」とか、「社会に背負わされる重荷に苦しむ23人の切実な思い」などの文字が並ぶ。この本の著者は女性でイスラエルの社会学者で、23人の女性にインタビューした内容を整理する形で書かれている。

これは、社会をどう変えようとか、そういった話ではなく、人の心の中にあって、まあ多くの人は気づかなかったり、見なかったり、見えても気のせいだと思ったり、こんなことを考えるわたしは駄目だと思ったりしている、人の根っこにあった感情を表に引っ張り出した話題作だ。研究者とは自身の課題を追い求めるものでもあると思っているけれど、この筆者も子どもを持たない選択をされた人だ。

その彼女が、「今の知識と経験を踏まえて、過去に戻ることができるとしたら、それでも母になりますか?」という問いに否と答えた人のみを研究対象者としてインタビューされている。つまり23名全て子どもを持つ女性だ。

ああ、それだったらあるんじゃない?と柔らかく受け止められる方もいることだろう。けれど、この本は世界で衝撃を持って受け止められた。特に宗教が根付く国では大問題を社会に投げかけた衝撃作だろう。

今、少子問題がなにかと取りだたされる。さあ、どうしたら女性に子どもを産んでもらえるか、なんて密室で議論されるとぞっとする女性は多いはずだ。自分の子どもの話ししか口にしない女性に対して、同性であっても違和感を感じる人はいるだろう。子どもがいることが社会貢献のように語られる時、私的な事柄と公共圏の出来事がごっちゃ混ぜになっている不快感に、それほど偉いこと?と違和感を感じる人もいるだろう。

この本は、わたしが常々考えている選択肢問題の一つでもあると思えた。

わたしは女性の働き方について考えているけれど、わたしたちは既に世にある選択肢から人生を選んでいる、それしかないと思い込んでいる。

沢山出そろっている選択肢の中から自由に何かをチョイスしているように思える。

けれど、そのチョイスがすべてなのかを私たちはあまり考えない。それが二者択一であれば右か左かを、3つ以上であればその中の一つを選べるという状況が作り出されている時、わたしたちはそれ以外の選択肢を思いつかない。

子どもが生まれなくなった時代に、初めてそれが大問題になっているけれど、人が溢れ過ぎていた時代には国は移民政策などを取り入れたりしている。人口問題は大きくはやはり広くは社会の問題だ。それが女性個人にフォーカスが絞られる時、ああ嫌だなという感情を抱くことは悪になる。

ここに書かれていて印象深いのは、母になったことを後悔している人は虐待などはしないということだ。自分の子どもが嫌いなわけではない。そうした人は対子どもへではなく、自分自身の中で大きな苦しみを抱えているという。

当たり前についてはいつも考えている。

この当たり前の強さにうんざりしている。当たり前が当たり前だと胸を張っていう人は本当に強いと思う。まずっもってその当たり前を疑うことがない。

ちょっとしつこいかなとは思うけれど、わたしはある時期、全員が同じことを口にして一人の人をその組織から排除した時に読んだ本がある。それが、『全体主義の起源』。

これは少し大げさだけれど、当たり前が作り出され、そこに誰もが疑いの目を向けなくなった時、普通の人が恐ろしいことをするようになるとある。筆者ハンナはユダヤ人でナチスに捕らえられていた経験のある学者だ。その彼女が社会全体に浸透した考えに疑問を持たなかった人には、ユダヤ人は人には見えなかったであろうというような記述があったはずだ。だから平凡な人が残虐な行為を淡々と遂行することが出来たのだと。

実際に彼女は、実行犯だったナチスの生き残りの男の証言を裁判で目にしている。その男は上司の命令を遂行したまでだと平然と述べた。彼はその時、その選択肢しかなかったといったのだ。

それが選択肢の怖さだと思う。そこにあるものから選ぶか選ばないか、それ以外の自分の問いがかき消されてしまう。

ややこしいところまで話を広げてしまったけれど、今目の前にある選択肢がすべてだと思うことに危うさがあるとわたしは思っている。

女性の全てが母になりたいと望んでいる、母のすべてが子を持ったことに幸せを感じている、そんな感情の中に、母親になって後悔しているという感情もまたある。母になった後で後悔し苦しみ続けている女性もまたいるという事実を書いた本だ。

子どもを産むことを考えた女性に、こうした点も考慮して、選択肢の中にいれてみてはどうだろうということだろう、か。

子どもを産むことは社会のためになる=正しいこと=善という流れから、決して外に出せない感情が閉じ込められていくという感じなのだろうか。

う~ん、書いていてやはり消化不良だと思うけれど、今夜はこの辺りにしておこうと思う。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※参考 『Regretting Motherhood』(邦題『母親になって後悔している』)2022新潮社オルナ・ドーナト著 鹿田昌美訳 

この記事が参加している募集

#読書感想文

189,831件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?