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日々是好日

今日は夜8時過ぎに部屋を離れた。もういい、もう十分にやった、そう思えた。

昨日から、一度仕上げたつもりのクラウドファンディングの原稿を書き直した。明日、審査に出すつもりで動いていて、その大改造が夕食前に終わった。

どうなることかと思ったけれど、書き直してよかった。わずか2日で書き直せたのは、やはり悩みながら書いていた最初の原稿があったからだった。内容は大きく変えたけれど、金曜日までの文章は無駄ではなかった。あの駄目な文章が、この2日間のわたしの進むべき道を照らしてくれた。

人生にはやっぱり無駄はないと思う。

わたしが出したいクラファンの分野は社会問題を解決したいという場所だ。それであれば、より詳しく、分かりやすく書く必要があると思った。ところが、詳しく書いたつもりでも、書けていなかった。恐らく、そのページに来る方は、きちんと文章を読まれる方が多いのではなかろうか。そんな想いにきちんと応えられるように丁寧に書き直そうと思った。

写真やバナーの差し替えに、白書や政府の統計を丹念に調べ、グラフをおこし、文字を書いた。分かりやすく、正確に、そんなことを思いながら2日間ひたすらパソコンの前で過ごした。

昨日は、母が倒れて以降、ずっとお願いしてあった地域包括センターの担当の方が初めて家に来て下さった。実に穏やかで良い方だった。その方とも話していて感じたけれど、これはやはり人口問題なのだろう。幼児の待機問題が解消して、今、高齢者の待機問題が発生している。

わたしは母が倒れて以降、不安になると、20年以上ケアマネとして働いている友人に連絡して色々な事を教えてもらっていた。とにかく最初の1週間はあまりに大変過ぎて、誰一人として家に来てくれないこの介護制度に失望した。2週間目はそれでも大分気持ちも落ち着き、母の介護にも慣れてきた。

そして、昨日来て下さった方に、これから大急ぎで手続きをして再来週には看護師さんに来てもらえるようになるはずだといわれた。およそ1カ月、誰にも頼れない日々が続くという事だ。

理由はケアマネさんがいないのだという。これこそ人口問題だ。頭だけ大きくて足の細くなったこの国の人口の形を思い出す。もう支える側の人口が本当に足りないのだ。

自宅にみえた地域包括センターの方いわく、国も予算がなく、これからは高齢者施設を作るのではなく、在宅介護にシフトチェンジしていくのだそうだ。ちょうど母の望みと時代が一致した。

母はわたしが最も忙しい時に、ヘビーな介護がはじまったことを気にしている。介護に慣れないわたしは、作業に時間がかかり、なかなかゆっくり話しもできなかった。それでも、顔を拭きクリームを塗ると、母は眉をかくという。これは凄い。腰が痛くて足が痛くて、寝返りが打てなくて、床ずれが出来てしまったというのに、朝、母は眉を描く。

そんな母をみていると、生きることを大切にしているその気持ちに励まされる。

母のヘビーな介護も峠を越えたような気がする。我が家に看護師さんが来る頃には、母はスキップしているかもしれない笑。そして、クラファンのページの書き直しもほとんど終わった。

なにもかももつれてしまって、おろおろと考える時間すらなかったけれど、それでも、こうして一日はちゃんと無事に過ぎていく。今日は、そんな日々のことがありがたいと思える余裕が生まれた。それにしても、なかなかハードでスリリングな20223年の10月だった。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


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