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誰と生きていくかを考え続けた日


どうでもいいようなことが、本当は一番自分の人生に影を落としていることってあると思う。

気づいてはいたけれど、みないふりをして過ごしてきた。それはそれでなんとかなるもので、わたしは恐らくどこにでもいる日本の妻として生きていたのだと思う。

ところが、そんなことがある日、たまらなく嫌になった。

耐えられなくなった。


そしてわたしは、夫との暮らしを清算することにした。

なんども考えたけれど、同じ言葉しか出てこなかった。

残り短い人生、これからは好きな人と暮らしたい、そうとしか思えなかった。

もう30年以上も共に暮らしてきた夫に取り立てて不満があったわけじゃない。けれど、子どもも大きくなり、わたしたちを縛るものはもうない。繋がっているのは紙だけだと思えた。

だから、夫にその話を切り出した。

夫に感謝をしていなかったわけではないけれど、夫はわたしより仕事優先で生きてきた。そして、わたしはもう還暦を過ぎた。このままでは自分を理解する人が傍にいないまま年老いてしまう。もっと語り合い、共に経験を分かちあえるパートナーと生きたいと心から思った。


考えてみると、それはもう長年自分の中に折りたたんできた感情だった。そんな自分の気持ちがもう抑えきれなくなった。


実は自分の感情が抑えられなくなる出来事があった。それはこのnoteにいらっしゃる女性との出会いだった。彼女の生き方を見て、ガッチリ蓋をしていた自分の心の蓋が少しずれて、しばらくするとその蓋がすっかり開いてしまったのだと思う。

わたしと同級生のその方は、ご自分の気持ちに真っすぐに生きていらっしゃる。その生き方に触れたことで、自分の人生はこれでいいのだろうかと考え始めた。形ばかりのパートナーなら日本にはいくらでもいる。いや、もしかしたらそれが普通なのかもしれない。

けれど、それでは残された自分の時間が惨め過ぎると思えてならなかった。


そうしてわたしたちは話し合い、別々に暮らすことにした。


ところが、人生とはおかしなもので、今、わたしたちはとても仲がいい。


その時、夫はわたしの意見を受け入れ、家を捜してくれた。ところが、その間の夫の穏やかな対応にわたしは驚いた。彼は常にわたしの気持ちを優先して動いてくれた。

そんな夫の姿を見て、わたしは夫の優しさに気づき始めた。

そして、これほど優しい人だったのかと驚いた。

おかしなものだ。

そして今、わたしたちはとてもよく話すようになった。週末には決まって外出し、美味しいものの食べ歩きをする。以前はそんなことはほとんどしなかった。すると夫もそんな暮らしが実に楽しいということに気づき始めた。

わたしたちは意味のあることだけを繰り返してきた。それは、人生を楽しむことや、人生を味わうことからは程遠い繰り返しだ。

そりゃ共に旅には出かけたけれど、そういうことでもない。夫は二人で過ごす時間と予算が常に気になる人だった。そう、そんな動きはコスパがいい。まるで家も会社のよう。けれど人生は生産性でもなければ効率的に何かを手に入れることでもない。そんな過ごし方がどれほど味気ないものか、彼にはなかなかわからなかった。

だから、真剣に話し合う時間がわたしたちには必要だったのだ。

あれから夫が嘘のように変わった。よく話すようになり、わたしは今まで感じたこともない人との心地よい距離というものを感じている。

そして、ここがおかしいのだけれど、夫が幸せそうなのだ笑。

もちろんわたしも幸せだ。

たったこれだけのことが、わたしたちには30年以上できなかった。そう、夫婦とは、一緒に暮らせれば、家の中が滞りなく回っていれば、それでいいというわけじゃないのだ。

わたしはどうしても豊かな人生を共に生きていくパートナーが欲しかった。

すると、こうして思いがけずわたしにもそんなパートナーが見つかった。


今日はこのnoteにいらっしゃるyahoiさんと初めてお話しさせていただいた。わたしが最も影響を受けたお話しだったので少し赤裸々かなと迷いつつ、今日は思い切って書かせて頂いた。

yahoiさん、今日は楽しかったです。ありがとうございました。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

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