心のはなし
自分の言動で、自分を知ることってありませんか?
ただ、この知るまでの過程は遠いのです。
たとえば、子どもに対して、毎回ちょっときつめの言い方をしまうとか。
わたしはそんな時、ムム、なんだこのわたしの感情、と立ち止まります。
とはいえ、人間ですもの、一度や二度では気が付きません。
そんなことを何度か繰り返し、ふと、あれれ、こんなこと、いつかもあったような、、、というところまでくると、もう大丈夫。気づきのステージへ移行です。そこから、なぜいつも同じ場面でイラっとするのか考えます。
実は、これは今日お会いした方が口にされた言葉から、始まった会話でした。
その方は、高校生の娘さんに対して、最初はそうでもないのだけれど、話しているうちにイラっとしてしまい、その気分が押さえきれなくなり、しまいには一方的に話を終えてしまうことがあるとおっしゃるのです。しかも、その度、親子げんかになってしまうのだと。
それを聞いて、わたしは、
「それは苦しいよね」
と返したのです。
すると、その方がビックリされました。
わたしは重ねて、
「だって、もうそれ以上聞きたくないほど不安なんでしょ?」
というと、もっと驚かれました。
そこから、会話は一気に彼女の側へ。
その方は、娘さんへの心配が苛立ちに繋がっているとは思っていた、けれど、それが自分の不安を刺激していたとは思ってもみなかったと言われたのです。
子育てに正解も不正解もないとわたしは思っています。
けれど、わたしは、子どもとの関係で沸き起こる気持ちの大半は、自分の側にあるような気がするのです。
今日は、たまたまわたしが遠い昔感じたことを、話してみました笑。
かつて、わたしもそんなことがありました。聞いてあげようと思っていたのに、どうして、ここでイラっとしちゃうんだろうと。そして、よくよく自分の心を眺めてみると、な~んだ、不安だったんだと気づき、以来、落ち着いて娘の話しが聞けるようになったのです。
親なんていっても、ただの大人です。
ちょっとしたことで不安になったりするものです。
ましてや、大切な子どものこと。
それでも、それは、子どもへの執着とか、束縛とか、そんな強いものじゃなく、嫌だっただろうな、とか、そんな気分を察しすぎた時におこる心の動きです。
親だって初心者ですもの。
あります、そんなこと。
今日は、そんな会話が出来て良かったです。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
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