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note650を経て

昨日、旅先からnoteをアップすると、連続投稿650日のお知らせが届いた。おお、よくもここまで書いて来たものだと我ながら嬉しくなった。

そして、もはや、連続投稿は公開日記に近いとも感じている。

なにしろ、今日感じたことは、明日になると少し変化してぼやけてしまう気がするから、今日の気持ちは今日のうちに書いておこうなんて思っているのだから。


先日、昨年の記事を読みに行き、その熱量に驚いた。

それはちょうど、母の本格的な介護と、わたしの会社設立が重なったころだった。

その頃、わたしはほとんどまともに寝ていなかった。なんと言っても、介護に不慣れなうえに、クラファンと起業が同時にやってきた。

仕事+介護をしつつ、寝たきりで折れた腰を痛がる母を何とかしたくて、お灸を買って試してみたり、考えつくことは全て試していた時期だった。

面白いことに、そんなこまごまとしたことは、どこにも書いていない。それでも、わたしには、書いてある記事の日に、書かれていないことが幾つもあったことが鮮明に思い出される。

もう一度同じ道をたどれるかと問われると、勘弁してくださいと言いたいほど凄まじい日々だった。

そして、ここもまた面白いところだと思う。

人は最も大変なことは恐らく書かない、いや、書けないのではないだろうか。嵐が通り過ぎて、それがやがて自分の中で収まり、それでもまだどこか印象に残っていたなら、書きたいと思うこともあるのかもしれない。

650日書き続けてわかったことは、

今もまだ、書くという行為はなかなか面白いものだと感じるということ。


加えて、親の介護とは面白いもので、たとえきょうだいがいても、生まれた順番とは関係なく、ひょっこり介護する側に選ばれたりすることがある。

どうしてわたしが、、、

なんて思ったりするものだけれど、

まあ、そんな時には、覚悟を決めて向き合うしかない。

人は人生の中で、子育て介護など、思うように動けない時がある。人生は決して平等でもない。ところが、お世話しているつもりが、意外にも成長する機会を与えられているのかもしれないと思うことがある。人のために自分の人生を使うというのは、これはもう使命としかいいようがない。

わたしは、恐らく母に介護を指名されたけれど、それがわたしの使命でもあるのだろうと、今はありがたくそんなことを受け入れている。

だからなのだろうか、経験したこともなかった風景が、今も見え続けている。


※最後までお読みいただきありがとうございました。

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