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永遠に手放してしまいたいもの

「正しさ」はゴツンと尖っていて手強いもの。そんなものがいくつもいくつも潜んでいるから、だからたじろぐのです。

ほんとうにこれでいいのだろうかと。

揺れずにはいられないのです。


母とわたしの根っこ

母と暮らしはじめて、ふとしたとき気付くのです。

塗り替えたはずの自分の根っこに。

ほんとうは、わたしは白い花を咲かせる椿でした。

けれど、大人になって赤い椿をつぎ木したのです。なんども、なんども、それと自覚しながら。

それなのに、思わぬ枝から白い花が顔を覗かせるのです。

そんな時、わたしはきまって自分自身を裁くのです。



はじめて働きにでて

はじめて母が賃金労働に就いたのは、大手メーカーの工場でした。それは、わたしが親元を離れてからのこと。一日中、小型ドリルを手に、セラミックの半導体チップの形状を整えていたのだといいます。そのときのなごりで、いまも鼻根の一部にかさぶたがあります。生真面目な母のこと、一日中顕微鏡に鼻を押しつけていたにちがいありません。

そのかさぶたはレーザーで除去しても、くりかえし今でも顔をだします。

その工場で、やがて母は正規に雇われ、最年長になると、若い人に悪いからと退職を申し出ています。それから20年も経つというのに、当時の同僚とは仲がよく、今でも彼らが無添加の手作り保存食を送ってくれます。



迷惑をかけずに生きる

ところがその母が、わたしの暮らしぶりに眉をひそめます。もうすぐ夫がくたびれて帰ってくるというのに、まだ台所に立とうともしない娘。それは母の思う妻のイメージとはかけ離れたものなのです。

母が働きに出たのは、父が定年退職したあとのことでした。公務員の父のじゃまにならぬ生き方を選んできた母。だからこそ、このままでは娘が平穏な暮らしを台無しにしてしまう、そんな不安が消えないのです。


そして、それは先週のことでした。

いつまでもパソコンに向かうわたしの肩越しに母がたずねます。「まだやめないの?」と。

母だって知っているのです。時代が変わったことも、田舎と東京では暮らしが異なることも。けれど、それでも母のなかにすみつく「正義」が警鐘をならし続けるのです。



無くならないもの

その時、わたしの中のなにかがゴツンと動いたのです。

母と暮らしはじめて、わたしの暮らしには、3度の食事と病院の付き添いが加わりました。一度はあきらめたものの、もう一度働きたいと動きはじめたばかり。

ただ、ゴツンと尖ったものにぶつかったのは、わたしの中に居座るものの仕業です。そう、母のせいではないのです。母の言葉をさらりと流せないのは、眠っていたそれが動いたから。

ほんとうは、母と同じ常識がわたしの中に残っているのです。だから、そのゴツンが、思わぬ時にわたしをざわつかせるのです。



わたしはどこ?

教育関係であれば、どの家も妻が外にでるのを嫌がらない、そんなリサーチをしたうえで、わたしは子育て中に準備を整え、子どもが小学校にあがると外に出ています。働いてもいいと夫にいわれた時、飛び上がるほどうれしかったことを覚えています。

夫の稼ぎで暮らしてはいけました。けれどいつしか、服を買うことも、美容院へいくことも、ぜいたくなことと思うようになりました。

そんなわたしに、奥さんはきれいにしていなければ、そんなことを母が言ったことがありました。外にはきれいな人がたくさんいるからねと。

そのころからです。

わたしは誰のために生きてるんだろう、そんなことを思うようになったのは。



なにひとつ上手くいかなくて

そして、夜にかけてヒューヒューと聞こえてくる幼い子どもの荒い息に、わたしは耳を塞ぎたくなります。ああ、まただ、またはじまったと。そして、わたしの中で裁きがはじまります。誰もが楽しそうに子育てをしているというのに、上手くいかないことばかり。

夫を送り出し、子どもを幼稚園へ送り出すと、倒れ込むように横になり、子どもの帰る時間がやってくると、ようやく体を起こしお迎えに。それからなにごともなかったように、大勢の子どもや大人たちと賑やかに時を過ごす、そんな日々を繰り返しました。

帰りが遅く、国内外を飛び回り、年々着実に力をつけ、視野を広げていく夫と、些末なことを繰りかえし口にするわたし。

わたしたちは、いったいどこに惹かれあったのだろう、そんなことさえ思い出せなくなり、壊れそうな2人の時間が流れていきました。

そのころから、わたしは笑わなくなりました。



言葉は人をおいつめる

それから10数年後、学士の資格がなければ働くには限界があると、暮らしを整え、わたしは40代後半で学生になりました。専攻は受験資格を満たしていた社会学です。受験勉強はしていません。なぜなら、それはもう、はるか以前から慣れ親しんだ学問だったのですから。

はじめてそれに触れたのは、仕事をはじめて数年目の30代後半の頃でした。

新宿の紀伊国屋でたまたま手にした一冊の本※との出会い、それがはじまりでした。その本に「母原病」の文字がありました。それを見たとたん、身体中に電気が走ったのです。すっかり忘れていた言葉。それなのに、手と膝が震えるのです。

子どもがまだ幼稚園のころ、薬剤師の年配の男性の先生に「子どもがかわいそうだよ。喘息はあなたが原因なの。母原病っていうんだよ。愛情が足りないの」と、なんどか指摘されています。だから、子どもの喘鳴が響きはじめると裁きがはじまるのです。どうして人並みのことさえできないのかと。

ところが、それを乗り越えられたのは、夜遅く駆け込んだ子ども病院のドクターの一言でした。そのドクターは、子どもを抱えたまま涙を流すわたしに向かって、親切にもこう言われたのです。あなたが泣くのは知識がないからですよ、知らないと人は不安になるのですよ、と。

それから、勧められた3冊の本を元に、わたしは観察をはじめました。小さな変化を見逃さぬよう、ち密なデーターを記録して。すると、天候以外に発作の前触れがあることがわかりはじめ、間もなく、大発作の回数が減りはじめました。

それから十数年が経過し、子どもは元気な中学生になっていました。ところが、過去にいわれたその言葉は、まだそのまま残っていたのです。

その本にはこう書かれていました。『母原病』は1979年に小児科の先生がつけられた言葉だと。そんなつもりで命名されたのではなかったはずです。けれどその言葉は、きっとたくさんの母親に向けて発せられたにちがいありません。

落合恵美子『21世紀家族へ』2007 有斐閣選書 p68~76



だれでも同じ

知らないは、不安と仲がいい、それは本当です。そのころから、わたしは心理学からはなれ、社会学に答えをさがしはじめました。その本には『母原病』について、

子どもの数が減り、母が母であることに専業になり、他に生きがいを持たず、子どもを生きがいにして世話をすることで、子どもは親の生きがいになるような子どもにならなければならない

そんなことが書かれています。そんな窮屈な関係から生まれたのが、小児喘息や吃音や食欲不振や登校拒否や骨折しやすいことなのだと。

けれど、いったい誰が悪いというのでしょう。

夫につくした親の世代の多くは、子育てを周りの人にまかせ、農業や家の商売を手伝っていたと書かれているのです。さらには、どんなに明るい人でも、日中一人で子育てをすると精神的にまいってしまうとも。

わたしが母に泣きごとを言っても仕方なかったはずです。母とわたしは同じ主婦として語られますが、その中身は似てなどいなかったのですから。それから、母の世代で都会暮らしをした女性たちは、それをすでに知っていました。こんな窮屈な暮らしはもういやだと。だから、娘たちに働くことを強くすすめたのです。



自覚しながら上書きしていく

それでも、わたしは大人になって学生になった時、くりかえし耳にする、性別で役割が異なるのはおかしい、そんな言葉に立ち止まります。じゃあ、家族はどうするの?と。

けれど、おかしなもので、繰り返し耳にする言葉は、やがて引っ掛かりがなくなり、いつしか当たり前になっていきます。やがて、わたしもそれを口にするようになり、それは当然のことと思えるようになり、さらには家族もその言葉になれていきました。

学位がほしくて、面倒だなとおもいながらしぶしぶはじめた学生生活でした。ところが、わたしはそこで、思いがけず家族を取り戻しました。なぜって、夫とわたしの目線が同じになっていたのですから。

「正しさ」は時代によって変わります。けれど、それは待っていても上書きなどされません。

コロナ禍で在宅が普通になった今、家族は自由になれたと言われていますが、ほんとうでしょうか。今でも、たとえどちらも働いていたとしても、夫は妻の家事育児のサポートにまわる、そんな家族が多いのではないでしょうか。

わたしたちの心の中に、家庭の中で繰り返し聞いたもの、見てきたものを塗り替える作業は、まっていてもはじまりません。ゴツゴツと心の中で引っかかりながらも、その尖った先の一つ一つを検証する、そんな歩みが必要です。

そう、その昔から、母は医者や教育者ではなかったのです。多くの人が手を差し伸べ、語り合い、先へと進んできているのですから。

「正しさ」は、時代によって変化するもの。そして、それを決めるのは自分自身でいい、そんなことをstand.fmで語っています。よかったら聞いてみてください。


絵は、みんなのフォトギャラリーのメトロポリタン美術館の中から、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの”Moulin Rouge: La Goulue”をお借りしています。少し絵が切れてしまいすみません。そして、ありがとうございます。

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