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【介護】ほんの少しのことで、寝込んでしまう


母は努力家だ。足が痛くてどうしようもないというのに、いつだって植物に水をやり、お掃除をして、お風呂掃除までしてくれる。ふと部屋に入ると、一人でストレッチや腹筋をしていたりする。

それから、決して愚痴を言わない。といっても、それは娘の家で暮らし始めた母の気遣いなのかもしれない。

いつだって、「ありがたい」とか、「ありがとう」とか、「わたしはなんて幸せなんだろう」という。


そんな母が先日腰を痛めた。そして、ついに動けなくなった。

相当に痛いに違いない。日頃、痛みをほとんど口にしない人が、動くたびに小さな悲鳴をあげる。

朝食には降りてくるけれど、夜まで2階には行かなくなり、日中はずっとソファーで横になっている。階段で激痛が走るのだ。

先月から母は鍼灸の治療院でマッサージと電気治療を受け始めている。より健康になる予定で、足の痛みもなくなるかもしれなかったのだ。

ところが、その治療院の待合室に貼ってあった運動のイラストがいけなかった。それを2人で目にして、「わたしこのポーズ無理!」と口にすると、母が「わたしはどれもできる」と言ったのだ。

確かに、母は体が柔らかい。いまでは足を痛めて、腰の骨もいくつか失っているけれど、それでも体の柔らかさは失われていない。

その母が、2人で見たあのイラストの運動にチャレンジしたのだ。そして、その日から、母は動けなくなった。あゝ。

以前、腰の骨を折った時、入院した先ではただ安静に寝ていたという。だから、今回はどれほど誘っても病院には行かないという。あの時と同じ痛みだから、寝ていると言い張る。病院ではただ寝ていて、ほんの少しだけ足のリハビリをしただけだったから行かなくてもいいという。

母の気持ちは痛いほどわかる。

先日、母の親友が家の中で転んだ。救急車で運ばれて3ヶ月入院をして元気になって帰ってきた。けれど、認知症になっていたのだ。

その人は母の大親友で、誰より活発で、車を運転し、仲間を集めては味噌造りなどをしていた社交家さんなのだ。

母が故郷を後にして我が家で暮らし始めると、毎年必ず手作りの贈り物が山ほど届いていた。その彼女が認知症になったという話しを母は間接的に耳にした。来年90歳になる同級生だ。

わたしは心配した。祖母が、かつて友だちが亡くなるたびに元気がなくなっていったことを覚えている。それでも、母の親友の話をしても母はがっかりした顔など見せたことがなかった。

ところが、母はその頃から、自主トレを強化していたんだと思う。

年中忙しいわたしは、そんな母の日常をひょっこり目にしては驚いたりしていた。やっぱり大親友のことがショックだったのだ。だから、より健康になりたかったのだ。入院などしたくないのだ。わずか3カ月の入院で、あれほど元気で皆の中心にいた人が、母の長年の大親友が、認知症になったのだから。もう電話で話すことができない。

きっと今の母には、入院は受け入れられないのだろう。

誇り高い母の体を拭き、服を着替えさせ、マッサージをする。すると、母が目頭をティッシュでそっとふくのが目に入る。

母は故郷を後にして寂しくは無いのだろうかと時々思うけれど、今が一番幸せなのだといってくれる。

母とはずっと離れて暮らしていた娘も、近頃ではよく母のことが分かってきて、わたしの知らないところで、2人は仲良しだ。確かに、母は今、とても穏やかな日々を過ごしているのかもしれない。

それにしても、やり過ぎる。母が体を痛める時には、きまって運動をし過ぎた時なのだ。だから、きっとあと数日安静にしていたら、またいつものように、静かに家の中を自由に動き回れるようになるだろう。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


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