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もう駄目だと思った時が、人生の変わり目


家にいると忘れがちだけれど、一歩外に出るとどんな人にも色々なことがある。だから、

どうしてわたしだけこんな目にあわなきゃならないの?

なんて思わない方がいい。

そんな時、わたしは、

きっと他にも、わたしと同じような想いをされた方がいるに違いない

と思うことにしている。


それから、意地の悪い人や、上から物申す輩に会ったなら、

きっとこの人は、わたし以外にも同じことやってるな

とクスリと笑う。

言葉って不思議なもので、聞きたい人にしか絶対に届かない。

わたしの言葉は、意地の悪い人や、上から物申したい輩には届かない。実に不思議な道具だと思う。だから、大切な言葉は、聞きたい人に届けば十分だ。欲張る必要はない。そんなものだと思っている。

わたしは、いつでも輝く言葉を口にして生きていきたい。

苦しい出来事というのは、多くの人が自分の胸にしまうもの。中には、誰にも語らず墓場まで持って行く人もいる。想像でしかないけれど、それこそが本物の苦しみなのだろうとわたしは思っている。

だから、苦しい声はめったなことでは外には出てこない。

誰もが涼しい顔で生きている。

あの空のようにね。

だから自分ばかりが‥と悲観的にならなくていい。

歩いていれば、誰だって一つや二つ、そんな目に合うものだ。言わないけどね。

今日は、友達が外へ引っ張り出してくれた。

久しぶりのお台場だ。

午後の数時間のんびりと過ごした。

風もなく、穏やかな午後だった。

たくさん歩いて潮の香りが心地よかった。

これまでも、もう駄目だと思ったことが何度かあったなあ、なんて話をしていた。

あゝ、行き止まりだ、詰んでしまったと思った時があったんだと語り合った。

そして、話していて気が付いた。そうだ、詰んでしまった時、なんのことはない、それは、人生が大きく変わる際の通り道に突入した時だったと。

あるよね~、後で振り返ると、あ、あそこって思うところ、なんて会話になった。

そんな時、苦しい時、しっかり休んだ方がいいよね、休むことって意外と勇気がいるけれど、ちょっとぐらい引きこもってもいいよね、という話しになった。

けれど、そこからそろりと動き出せた時がなかなかいい。きっと直ぐには気付かないけれど、やがて、あれれ、これはこれまでと違う人生の幕開けなんじゃない?と気づくことがある。

もう駄目だ、あかん、と思った時、それまでの居場所は自分に合わなくなっているってことだったりする。

だから、傷ついたって大丈夫。本当に傷ついたらちょっとだけ逃げて休憩して羽を休めよう。

けれど、頑張って歩き出すと、新しい人生が始まったと気づくことがある。

絶望は案外希望の入り口だったりする。

偶然にも、同じような感じ方をしていた。お互いに、随分と色々あったねと笑い合った。人生はやっぱり味わい深い。



※最後までお読みいただきありがとうございました。


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※スタエフでもお話ししています。

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