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どうしてそれがジョブ型なの?


日本の働き方はもうそろそろ限界を迎えていますと経団連ジョブ型への移行を促している。

そりゃ日本経済はずっと伸び悩んできた。でも、これほどメンバーシップに固執してきたというのに、いったい経団連はメンバーシップの何がご不満なのだろう。




メンバーシップ型とは

日本の働き方であるメンバーシップ型の特徴は、①新卒一括採用、②年功序列、③終身雇用、➕ 組合が企業の中にあること。

これを平たくいうなら、

①学業を終えたばかりの男女が、4月に一斉に新入社員として入ってくる

②社内に序列を作る人事制度がある。そのカギは勤務年数。何年働いたかで給与や昇給昇格等が決まる

③労働契約法に解雇権濫用の法理があるため、よほどのことがないかぎり解雇されないので、特に大企業では定年まで働く人が多い。さらに、日本の給与は後払い制で、若い時の安い賃金が徐々に取り戻せる仕組みのため、途中で辞めては損をする

というわけで、メンバーシップ型の日本では、新卒で入社した企業に勤め続ける人が珍しくない。

人生と勤め先の境目さえ消えていくような愛社精神が育つ働き方なのだ。

企業側にとって悪い話しではない。



働き方改革

その経団連といえば、日本の代表的な企業1,512社、製造業やサービス業等の主要な業種別全国団体107団体、地方別経済団体47団体などから構成されている。つまり、人を使う側の団体が、これからは働き方を変えますと宣言したということなのだ。

するとさっそく、ニュースなどで、海外に子会社を持つ日本を代表するような大企業が、ジョブ型化へ移行したと報道されるはじめた。

けれど、ちょっと待って欲しい

本当に待ってほしい。

そもそもこのジョブ型は一社だけで出来る形ではない。

だからこそ、が付く。

一社で働き方を変えるのであれば、それはその企業の働き方改革に過ぎない。



経団連のやる気

そもそも、欧米の働き方がジョブ型になったのには訳があった。それは、経団連のような人を使う側から働く人を守るため、米国の労働組合が必死で作った型なのだ。

だから基本は、働く個人を使う側から守るためのシステムだ。

では、なぜ経団連は、これまで愛してやまなかった、家族と企業が一体となり愛社精神を育みつつ、家族丸ごとの人生を共にする、あのメンバーシップ型を手放したいのだろう。

しかも、目指すジョブ型は、日本人が嫌う愛社精神が抱きにくい働き方でもある。

使う側の人たちは、本気なのだろうか?

いや、どうにもやる気がみえない笑。

もしも、経団連が本気でジョブ型へ移行したいのなら、彼らには日本の代表的企業1,512社、製造業やサービス業等の主要な業種別全国団体107団体、地方別経済団体47団体が付いている。

本気なら、

「さあ!一斉にジョブ型へ移行しよう!」

ぐらいの呼びかけはするだろう。


ベースは同一労働同一賃金

そして、最も肝心なことがまだ語られない。

それは、ジョブ型の基本は平等であるということ。だからこその同一労働同一賃金なのだ。

そう、アメリカの労働組合が苦労して作り上げたこのジョブ型は、単独では意味がないのだ。ジョブ型とは、団体で統一された働き方をすること、不平等を無くす働き方なのだ。しかもそれは労働組合が中心となっていた。

それなのに、日本では使う側の経団連がそれを目指すという。

今では世界的に働き方の変化で労働組合の存在が薄くなっているけれど、それでも欧米は、職種別・産業別で広く社会で繋がっている。だからこそ、このジョブ型社会できるのだ。

たとえば際立って安い賃金を払う会社は、そこで働く人が組合という横のつながりを持つため、搾取するとそれが明るみにでる。だからなかなか不正がまかり通らない。そうして同一労働同一賃金が成り立つ。いや、そうしなければ同一労働同一賃金など成り立つものじゃない。

ところが、日本では同じ仕事をしていても勤め先で給与が全く異なる。日本の組合は企業内にある。だからこそ、働く人は横の繋がりがない。

しかも、日本企業でジョブ型の話しを聞く際、同一労働同一賃金の話しはほとんどでない。



何が限界なの?

では、いったい経団連は、企業は、人を使う側の人たちは、何がしたいの?

それは誰もがご存知のように優秀な人を確保したいのだ。

で、ジョブ型に移行した会社の話が今世間を賑わす。けれど、それはその会社の働き方改革に過ぎない。

今のやりかたでは、単独のジョブ型派もどきだ。そう、それはメンバーシップ型に付けたされた新たな人事制度なのだ。イメージとしては、大きな球体にくっついた新しい丸くて小さな球体ぐらいだろうか。

そう、日本企業は採用の限界を迎えたのだ。

あの、若い時には低賃金で我慢して、我慢して、我慢して、そしてやがて取り戻す給与体系ではもう人が採れない。

本気でキャリアを身に着けたい人は、企業を渡り歩き、他社でも使える経験を身に付ける。ずっと我慢などできない。人も時代も変わったのだ。そこが限界なら、やっぱり取り急ぎ、ジョブ型で、といのでは話がおかしくなってしまう。


日本版ジョブ型

わたしはこの日本版ジョブ型をずっと遠目で眺めてきた。新聞にも○○会社はジョブ型へ移行なんて文字が出てくるようになった。

じゃあ、彼らは欧米のように、

◆履歴書に年齢も性別も出身地も顔写真も求めないのだろうか?

◆残業は無いのだろうか?

◆出張や転勤では、本人の意志を尊重するだろうか?

◆採用後、会社側が他部署へ異動させることはないのだろうか?

◆比べる組合が無いのであれば、給与は今後も欧米に倣うのだろうか?

ジョブ型は契約だ。

その契約が破られるのであれば、それはメンバーシップ型に新たに付け足された部署と何ら変わりはない。



おわりに

人は言葉で流される。新しい言葉が流行った途端、見えるはずのものが見えなくなる。

ジョブ型への移行は、人材不足で考え出された秘策だ。優秀な人が欲しいのは分かる。けれど、それだけじゃ労働者の権利など置いてけぼりだ。そもそもジョブ型は労働者個人を守るための働き方だ。使う側の都合で考え出された働き方ではない。

ジョブ型の基本は平等だ。だからこその同一労働同一賃金だ。

何かがおかしいと感じる時には、何かが隠されている時だ。

何かがおかしいと感じる時には、誰かが得をして、誰かが損をするときだ。

何かがおかしいと感じる時には、やってはいけないことがするりと始まる時なのだ。

忘れてはならないのは、ジョブ型の基本は平等だということ。


※最後までお読みいただきありがとうございました。

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