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パートナーと話す時間を確保する


近くに居て当たり前な人、きっとそれがパートナーだと思う。

けれどパートナーは所詮他人。暮らしているだけで絆が生まれるほど互いは近くはない。うっかりすると相手がみえなくなる。

平日の大半はお互い違う世界で生きている。会う人も、経験も、食べたものも随分違う。ほったらかしにするとどんどん見えなくなっていく。それが他人というもの。


そんなわけで昨日は夫婦で箱根へ足を伸ばした。近場でも日常とは違う気分に浸れる。歩きながら、食事をしながら、よく話し、よく食べた。今は介護で気ままな旅はできないけれど、それでも日常から離れてこんなふうに二人の時間を共有する機会を持ちたいと思っている。


いつの頃からだっただろう。心して夫と話す時間を大切にするようになったのは。そうしたら夫はよく話す人だった。そうそう、わたしはようやくそんなことを思い出したのだった。

若い頃わたしたちは良く話し、なんでも一緒にした。「ゴルフ道具を買いに行こう!」と結婚当初いわれた時驚いた。「え?わたしもゴルフするの?」と。けれど夫はしごく当たり前にわたしをゴルフに誘い、わたしは真っ赤なゴルフバックを肩にかけコースにも出た。旅好きのわたしが練るいきなりな海外旅行の計画に夫は呆れながらも面白がってついてきた。わたしたちはどこに行くにも一緒だった。

そんな暮らしが180度変化したのはわたしが母になってから。あの頃から、わたしと夫との接点がどんどん消えていった。


わたしたちはそれから長い間、それぞれに一人旅をしていたのかもしれない。


夫ばかりが悪いと思っていたけれど、日本のサラリーマンはそんなふうに家族から引き離される。

人は繰り返し関わるものに徐々に関心が高まり、やがてそこに自分の価値基準を置くようになる。すると時に家族が疎ましく足手まといになる。家族のためにという殺し文句など本人にしか通用しないことも気づかぬまま、日本のサラリーマンの多くが家族から引き離されていく。家族のためにと頑張りつつ、やがて視界からその家族が消えていく。中毒とは、心とは、きっとそんなものだと思う。


だからわたしたちはいつの間にかすっかり忘れてしまっていたのだ。互いのことを。


ところが東日本の大震災があったあの日、夫が7時間もかけて家に帰ってきた。驚いた。そのことを今もはっきりと覚えている。まさかこんな大変な時に仕事第一の夫が家を目指すとは想像さえしていなかった。ところが彼にとって家は、家族は、わたしは、帰るところだったのだ。人生でこれほど驚いたこともなかった。タクシーに乗り、暗い夜道をただひたすら家を目指した夫の姿をみたあの時、わたしの中で何かが変わった。

また一緒に生きていける気がした。

夫は気づいているだろうか。あの大震災がきっと夫の初めての転換点だったのだ。

そして家に帰ってきた夫にわたしが驚いたことを彼は知らない。


サラリーマン生活は長い。会社に人生を捧げたつもりでも会社はそっぽを向くことだってある。本物の日本のサラリーマンだった夫も今、徐々にそこから抜け出そうとしているのかもしれない。

昨日はスマホも触らず一日のんびり箱根で過ごした。夫婦は所詮他人。だからこそ話す。そして話せば話すほど互いを知るようになる。夫は実に優しい人だった。そんなことを思い出せて良かった。

日本の夫婦という言葉には語らなくでもOKという意味が含まれている気がしてならない。「おい、あれ、あれはどうした、あれだよ、あれ!」と。

だから夫とはパートナーでありたい。会社だって、仕事だって、パートナーであり続けるためには互いを知る努力が必要だ。バランスが取れない関係は上下の関係。パートナーとは最低でも相手に関心を持ち、同じ高さで物事を考えられること。

おまけに相手に関心を持つと互いの世界が2倍にも3倍にも広がる。それがパートナーであることの良さだと思っている。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

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