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母の日〜いい子でいるのをやめたら、「最高の母の日」と言われた日〜

おはようございます。
身も心も軽やかに、自分らしく人生を送る女性を増やしたい「うみ」です。

昨日は、母の日でしたね。
みなさんは、どんな1日を過ごしましたか?

今日は、仕事や産育休中の話ではないのですが、
母の日のことを書きたいと思います。


今までの私は、母の価値観に従って生きてきました。
母が喜ぶであろうことを言ったり、やったり…
自分の気持ちよりも母の顔色ばかり窺って過ごしてきました。
教員をやめたことも母がどんな反応をするか怖くて、母と面と向かっては話せていません(笑)

小学校の教員時代、母の日の前には、
「お母さんはこんなことすると喜ぶかもしれないよ」などと、
母の日に子どもたちがお母さんを喜ばせることをすることを
推奨するような形をとってしまっていたこともあったなと
今は、反省しています…

そんな私が、初めて
母の日に母に会ったり、
手紙を渡したり、
お花を贈ったりという
「母が喜ぶであろうことをしない」
という選択をしました。

「母にとってのいい子でいる自分」
から卒業したいと思ったんです。

これは、今まで母の価値観に従って生きてきた私にとっては、
とても大きなことです。

私には、3歳上の姉がいるのですが、
姉は私の選択について、理解してくれ、
今まで私が担っていた実家の家族との調整役を
やってくれることになりました。

そして、「実家に行かない」選択をした私は姉に
今までの母や父に思い対して抱いていた感情など
「同じ両親から生まれ、同じ家庭環境で育った
 たった1人の姉妹だからこそ話せる話をする」
という選択をしました。

大学時代からひとり暮らしをしていた姉と
じっくり気持ちや抱えていた思いを共有できたのは、
高校生の時に同居していた祖父が亡くなった時以来かもしれません。

今まで母に自分の気持ちを伝えても
「我慢しなさい」
「もっと〇〇な人もいる」
と全く共感をしてもらえませんでした。

言葉で伝えても伝わらず、
私が感情を態度や表情で出すようになると
「そんな顔しないで楽しそうにしなさい」
「こうした方が周りの人に嫌われない」
「悲しくても泣かない」
「人前で泣かないの」
など、私の態度や表情までも否定されるようになりました。
そのため自分の感情を表に出すのが苦手になって
本当は自分はどうしたいんだろう?
どんな気持ちでいるんだろう?
って、自分の感情にも自分で寄り添えなくなっていました。

大人になってからも自分の気持ちに共感してくれない母親に対して自分は何もできなかった。
自分の気持ちを理解してもらうために努力をして「伝えること」をもっとするべきだった
そんな思いがずっとあって…

周りの人との関わりの中でも
母に共感や理解してもらえない思いを引きずって
自分さえ我慢すれば…
この場が丸く収まれば…
と思ってしまいがちだったけれど、
姉と話す中で
私は母に対しても頑張って自分の気持ちを伝えようとしてきたけれど、
”母に”私の気持ちに共感したり、受け止めたりする余裕がなかったのだと
思えたことが大きかったな…


母の日、当日、我が子たちから花束のプレゼントをもらい、
とってもうれしくて
4人の子どもたちそれぞれに
「生まれてきてくれてありがとう」
「ママにしてくれてありがとう」
とハグをしました。

子どもたちからのプレゼント


夜になり、改めて
私を産んでくれたこと
私に姉を作ってくれたこと
に対して、母に感謝の気持ちが出てきました

LINEで
「お姉ちゃんと私を産んでくれてありがとう」
と送ってみました

母が望むこと
母が「〇〇して」と言ったこと
をしていない自分は
「もう母にとってのいい子じゃない」
「親不孝者だ」と思いながら…

すると、母からは
「2人とも生まれてきてくれてありがとう
 最高の母の日になりました」
との返事が…

今まで
母の期待に応えたい
母の言う通りにできない自分は悪い子
もっと母にとってのいい子でいなきゃ
と思って生きてきて、
求められることに応じること
出来るだけ母の言うことに従うこと
母が喜ぶであろうことを必死に考え行動すること
一生懸命してきたのにずっと満たされない思いがあった。

もう「母にとってのいい子から卒業したい」
そう思って

自分の気持ちが動いて
ただやりたい
ただ言いたい
と思ったことをやったことで
「ありがとう」と言ってもらえるなんて信じられない

母にとってのいい子を卒業したら、
母にやっと
「これからは自分の人生歩んでいいよ」
と言われたような気持ちになった。


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