見出し画像

誰かに必要とされるために生きてきたー社会人2年目の小休止日記⑤ー

~鬱になると、一人で憂鬱な気分になることが本当に怖くなる。また「消えたい」と思ってしまうのではないか。お休みをいただく中で、少しだけ「考える」ということへの恐れが少し減った気がする今日この頃。心身ともに健康で生きていくために、自分を愛するために、自分の特性を理解していこうと思う。今回は、人との関わり方について。~

「相手にメリットを与えられる人間でありたい」
極端な表現をすると、そんな考えを軸に、小学生高学年ごろから人と関わってきた。悩みがあれば相談に乗りたい、勉強を教えたい、相手が楽しめる話をしてもらいたい。
自分の思いなんでどうでも良い、と自分に言い聞かせていた。そうじゃないと私と関わりたいなんて思ってもらえない。心の底からそう信じるくらい、私は自分に自信がなかった。そして、いまだに自信がない。

だが裏を返すと、私自身も自分にメリットのある人間関係を心のどこかで望んでいた。学校でグループワークの時にあぶれたくない。普段助けてあげているからその分私がしんどいときにも助けてくれるだろう。他人のために生きることが、私の生存戦略だった。当時の自分、よく頑張ったね。

お休みをもらって考え直し、私が勝手に相手にとって「メリット」だと思っていたことがお節介だったことがとても多かったことに気づいた。繰り返し使っていた「最近悩みとかあるの?」という言葉。私自身が自己開示できていない相手に、そんな質問を投げかけてもうまく話が続くはずはない。相手のために相手のために、と行動していた時間は、孤独を恐れ、自分が何をしたいかから目を背けさせていたのだった。そしていつしか、他人のためにを中心に考え、行動することが自分にとって楽になっていた。だって、自分の嫌なところを見る必要がなくなるから。

自分が人と、というか友人や家族、大切な人たちと何をしたいか。自分の悩みを打ち明けて共有したい。一緒に趣味の話を楽しみたい。ほっこりと心がじんわり温まるような時間、リラックスできる時間をすごしたい。自分が気づいた人生観や生き方について話したり、友人のそれらも知って自分の人生をよりよくしていきたい。ポジティブなバイブスを広げたい。

書いているだけで涙が出てきそうだ。自分の中で完結する、自分のしたいことは山ほどやりたいことリストに書いてきたが、私に必要だったのは上記のような人との関わりだったらしい。

私は3年前noteに「自分に素直に生きる」と題して似たようなことを主題に書いている。そのなかで「自分に素直に生きることは『自分がどんな人間か』に真っ向から向き合うことと同義」と大仰な表現をしている(恥ずかしい…)が、3年かけてやっと友人や家族に対して自分の素直さをほんの少し出せるようになった。当時、自分がどうなりたいのかをこの記事で明確に書けていないのは、素直といいながらまだ自分の欲深い部分を毛嫌いしていたからだと思う。

「自分を大切にできないと他人も大切にできない」
私の心にみじんも刺さらず、バカにさえしていたこの言葉が、やっと少しだけ理解できた気がする。自分がこれからどう生きていけばいいのか、自分の本心がどこに隠れているのか探すのも難しい。自分へのご褒美もまだあまり理解できていないから、友人への誕生日プレゼントを選ぶのが苦手だ。なぜ自分はこんな生き方をしてきてしまったんだろうと思うことも少なくない。

でも、他人軸であるというのは、自分がより快適に生きていくためには必要な考え方だった。生きるために必要だった。本当にそうだ。そうやって生きてきて、よく頑張ったねと過去の自分を抱きしめてあげよう。まだ人生は長い。まだまだつたないが、これからの自分も今までの自分も等しく愛していきたい。

今回もお読みいただきありがとうございます。またヘッダーの画像をお借りしています。素敵なイラストをありがとうございます。