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人生という物語の“背景”に心が揺さぶられるのは

読書が好きだ。
芸術が好きだ。
ひとの人生や考え方の話を聞くのが大好きだ。

私の琴線に触れるのは、決まってその作品、時間、行動や人の在り方の“背景”に触れたと感じる瞬間だと気づいた。
そして、自分の人生の物語の背景を紡いでいく感覚もまた、心のどこかに触れて満たしてくれるとも。

先日、大好きな仏像が展示される博物館の特別展示を訪れた。
幼少の頃から毎年のように拝み続け、目にするだけでそのお姿の温かさに感動してしまう、私にとってとても大切な存在。
寺院から離れて、博物館という異なる空間に移送された状態で目にすることを心待ちにしていた。

数フロアを丁寧に観覧して新しい展示室に足を進めた瞬間、それは目の前にあった。
少し窮屈に見えながらも、他の展示品とは異なるオーラを放つ阿弥陀如来像。
薄暗いお堂の中でお香の匂いと共に目にするのとは違い、白い光に包まれた仏像は一段と輝いて見えた。
それでいて錆びた黒色の混じる金色の体躯に、自分の両肩に時代の重みを感じるような心地がした。

もっとも楽しみにしていたのは、お堂の中では見られない仏像の背面を見ることだ。
何度も拝んできた仏像の、初めて目にする背中。
丸みを帯びた肩と大きい背中を見ることができた喜びと共に、その肩に平安時代より多くの人々の祈りを、願いを聞いてきた重みを感じて、涙が出そうになった。

お堂からここまで丁寧に運ばれてきたんだろうな。
次には東京での展示が控える。新たな地へと足を運び、また今まで目にしたことのない人々を感動させてくれるんだろうな。
仏像を目に焼き付けられた幸福と、これまでの道のりや今後への希望に胸が高鳴り、忘れられない思い出となった。

作品そのものの美しさに感動するだけでなく、作り手の信念や葛藤、人生からどのようにその作品が生まれたかなどの過程や、完成された後にどのように人の手にわたってきたかを知ることで、その美しさの深みに触れられると感じる。
その深みこそが、私の琴線に触れて心を満たしてくれるものの正体なのだと思う。

人についてもそうだ。
今ハマっているゲーム配信のコンテンツがある。
メタバース空間にある架空の都市で自分とは違うキャラクターを演じながら生活し、他の配信者さんのキャラクターとの邂逅を通じてほぼ即興で物語を紡ぐというものだ。

100人以上が参加し1年ほど続いている同コンテンツだが、私の推している方は1年かけて新しい企画を提案して繰り返し、より多くの配信者を巻き込んで視聴者を楽しませる形を常模索し続けている。
その姿勢は、コンテンツの特殊さからそれを離れる配信者が一定数いたり、新たな物語を視聴者に提供したいという強い思いからだと日々視聴していて感じる。
そういった熱い思いや優しさが配信を作っていると思うと、さらにその人が紡ぐ物語の展開が楽しみになってハマってしまう。

背景の面白さ、作り手の思いのユニークさや強さは、小説や芸術などから店舗といったビジネスまで、幅広い作品に深みを出してくれる。

だが事実は小説よりも奇なりという。
そして最近、自分の身の回りに起こる出来事の運命力や力強さに感動を覚えている。
先日書いた、古書店で出会った資料集のこと。
友人との会話で気付かされることの新鮮さ、喜び。
自分自身の物語の“背景”を緻密に紡いでいる感覚が、心を満たしてくれていると感じる。

私が紡ぐ物語の面白さや特殊さは、他者との邂逅や他者の思いに踏み込めたときの気づきにあると思う。
自分の琴線の繊細さと、それにも増して強すぎるその気づきへの熱意。

繊細さを持ち合わせている人は一定数いると思う。芸術家の多くは、その感覚を研ぎ澄ますことが専業だろう。
私の個性は、熱意にある。
深みをもっと多くの人に知ってもらいたい、その素晴らしさを知ってほしい。
深みを持つ人に気づき、寄り添い、その人の思いを行動に起こしたり、深みを阻害している事象から解放する手助けをしたい。
そんなふうに強く思う。

熱意がトリガーとなって行動したことは少なくない。
面白いゲームがあるからと友人を誘って遊んでみたり。
友人の行動に対する思いを聞いて、行動を真似してみたり。
熱意が強すぎて人間関係に困ることはたまにあるが、新たな行動への足取りが軽くなって楽しみが増えた経験も多くある。
過去に、「熱中の夢から醒められない」というテーマでnoteを書いたくらい熱中≒熱意について嫌悪感を持っていたが、それの強みや活かし方に気づいた今日この頃だ。

他者や作品の背景に触れて繊細な気づきから幸せを感じると同時に、自分の背景を紡ぐ感覚を養い、行動に移していくことが自分の心を満たせると理解できた。
それらをバランスよく得ていくことが私の人生を彩ることだと思う。

書いたことと少し矛盾してしまうが、自分の物語に自信を持てないことが多いので、自分の行動が心を満たす感覚を得られないのが正直なところではある。
行動の悪いところばかりを気にしてしまうからだ。
だが、その背景の思いは不変で、それに善悪など存在しない。
そのことを肝に銘じて、他者だけではなく自分にも心の動きを向けて、暮らしていきたいと思う。


最後までお読みくださりありがとうございます。
想定していたより踏み込んだことに気づき、書いてしまったので、少し読みにくい文章になってしまったかもしれません。
やはり書くことで気づけることはたくさんあると感動している次第です。

そして、文中で過去に「熱中の夢から醒められない」というテーマでnoteを書いたと書きましたが、その記事のリンクを貼らせていただきます。
もしご興味あれば、読んでいただけると幸いです。

最後になり恐縮ですが、今回もヘッダーに素敵なイラストをお借りしています。まさにテーマに沿ったイラストを発見して感動しております。ありがとうございます。