ふたつの世界
ここのところ晴れ間が続いています
昨日、外は暑いくらいの日差しでした☀️
今年から始めた畑での野菜作り
今日は大根の間引きをして
採れた小さな大根と葉っぱを
美味しくいただきました
毎日ミョウガを生で食べていると
どこかで言っていた春馬くん
「陽はまた昇る」の撮影中のケータリングでも
みんなが肉🍖を頬張る中
一人でポリポリ野菜を食べていたっけ…✨
そんなことを思いながら
大根もとれたてなのでそのまま
食べてみました(マヨネーズは付けました)
ちょっと辛かったけど
新鮮な大地の味がしましたよ
自分で野菜を育てるのも
採れたてを食べられるのも
とても嬉しいことだね✨
春馬くん
心の中でつぶやきました
ちっぽけなことですが
思いを共有できた気がしてほっこりしました☺️
……
話は変わり
ちょっと前
中学の校長先生の朝礼の話を思い出していました
何十年前😅
君たちにはまだ難しいかもしれないけど…
と話し始めた校長先生
「ない」ということは「ある」ということ
「ある」という概念があるから
「ない」が成り立つのだと
そんな話をしてくれました
その話を聞いた時はハテナ?
でしたがずっと心に残っていました
今思い返すとこれは哲学の話でした
この考えは「二元論」という考え方で
古来から様々な哲学や宗教、思想に
根付いているものらしいです
上があれば下がある
右があれば左がある
光があれば影がある
精神と物体
こころと身体もそうです
物事は二つの側面を持っているということ
そして真逆のものが同時に存在しているということ
この考えは方は日本の仏教思想にもあって
よく言う「お彼岸」は
こちらの世界「此岸」に対する
あちらの世界「彼岸」
なのだそうです
川を挟んでこちら側と向こう側ということですね
こういう考え方は太古の昔から
人の精神世界の中で考えられてきたものであると思うし、真実を表しているように思います
何が言いたいわけではないのですが…😅
ただ、こちらの世界があるのならやはり
あちらの世界もあるということ
そして光と影のように
同時に存在しているということかな…
と思いました
さらに
この二つの世界を繋ぐ「何か」があれば
向こうの世界を感じることができるのかな?
もしくはこちらの世界をあちらでも
感じられるのかな、と考えました
その「何か」はなんだろう
それを考えることが
これからの人生の課題のような気がします
その「何か」は
想い、なのかもしれないし
行動なのかもしれない
一生懸命に生きていけば
見えるものがあるのかもしれない
春馬くんが穏やかにいられるように
こちらでできることは何だろう
春馬くんの想いを受け取れるように
どういう自分でいたらいいのだろう
春馬くんだけでなく
亡くなった大切な人に対しても…
その答えをこの人生で探し続けることが
春馬くんがくれた宿題なのかなと
思いました
哲学とか、太古の…とか壮大な話になり
まとまりがなくなりました
数日前からこのことを考えていたら
いつも読ませていただいている方の記事にも
同じようなことが綴られていて
びっくりしました✨
シンクロしてることに嬉しくなりました
やさしい日差しの中佇んでいるこの背中を見ると
いろんな想いが巡るよ
逢いたいな、逢いたいよ
いつかきっと会えるよね
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?