立ち止まっても 振り返っても
ついにブレイブが公開されました✨
既に観に言った方も大勢いらっしゃるとおもいますが、これから観に行かれる方、気をつけていってらっしゃいませ!!
私は学校の春休みに合わせて息子と観に行く予定です。
前回のブログでもお伝えした通り、ここ1〜2週間あの夏に戻ったかのような喪失感に襲われていました。。
でも少しずつ気持ちを立て直しています。
ブレイブ(ほんの少しだけネタバレかもしれないです)観に行かれた方の反応を少しだけ見ましたが
初めの方に戦国時代らしい合戦のシーンがあって
物凄くたくさんの侍が斬ったり斬られたりのカットがあるそうです
戦国時代にトリップする映画なので当たり前ですよね💦
もしそういうシーンが苦手な方は、前もって知っておくと気持ちの準備ができるかなと思いました
ここでは春馬くんへの想いと同時に
大切な人の喪失や死別をどのように乗り越えていったらよいか、ありのままの気持ちを綴りながら模索していきたいと思いますので引き続きよろしくお願いします…
3.11
フィギュアスケーターの羽生結弦さんのコメントを読みました
数年前、好きな芸能人は?と聞かれて
「三浦春馬さん」と答えていた羽生さん
二人の繊細な表現に、違う舞台ではあるけれど
琴線に触れるものを感じていました
コメント全文を紹介します
“何を言えばいいのか、伝えればいいのか、分かりません。あの日のことはすぐに思い出せます。
この前の地震でも、思い出しました。
10年も経ってしまったのかという思いと、確かに経ったなという実感があります。
オリンピックというものを通して、フィギュアスケートというものを通して、被災地の皆さんとの交流を持てたことも、繋がりが持てたことも、笑顔や、葛藤や、苦しみを感じられたことも、心の中の宝物です。
何ができるんだろう、何をしたらいいんだろう、何が自分の役割なんだろうそんなことを考えると胸が痛くなります。
皆さんの力にもなりたいですけれど、あの日から始まった悲しみの日々は、一生消えることはなく、どんな言葉を出していいのかわからなくなります。
でも、たくさん考えて気がついたことがあります。
この痛みも、たくさんの方々の中にある傷も、今も消えることない悲しみや苦しみも…
それがあるなら、なくなったものはないんだなと思いました。
痛みは、傷を教えてくれるもので、傷があるのは、あの日が在った証明なのだなと思います。
あの日以前の全てが、在ったことの証だと思います。
忘れないでほしいという声も、忘れたいと思う人も、いろんな人がいると思います。
僕は、忘れたくないですけれど、前を向いて歩いて、走ってきたと思っています。
それと同時に、僕にはなくなったものはないですが、後ろをたくさん振り返って、立ち止まってきたなとも思います。
立ち止まって、また痛みを感じて、苦しくなって、それでも日々を過ごしてきました。
最近は、あの日がなかったらとは思わないようになりました。それだけ、今までいろんなことを経験して、積み上げてこれたと思っています。そう考えると、あの日から、たくさんの時間が経ったのだなと、実感します。
こんな僕でもこうやって感じられるので、きっと皆さんは、想像を遥かに超えるほど、頑張ってきたのだと、頑張ったのだと思います。すごいなぁと、感動します。
数えきれない悲しみと苦しみを、乗り越えてこられたのだと思います。
幼稚な言葉でしか表現できないので、恥ずかしいのですが、本当にすごいなと思います。
本当に、10年間、お疲れ様でした。
10年という節目を迎えて、何かが急に変わるわけではないと思います。
まだ、癒えない傷があると思います。
街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います。
まだ、頑張らなくちゃいけないこともあると思います。
簡単には言えない言葉だとわかっています。
言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。
でも、やっぱり言わせてください。
僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。
頑張ってください
あの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。
本当に、ありがとうございます。
僕も、頑張ります
2021年3月
羽生結弦”
自ら被災し、被災地の方々と共に想像もできない辛さ苦しさを味わったからこそ、力のある言葉だと感じました。
大きな大きな傷
それは消えることがないのかもしれない。
だけど同時に、共に過ごしたかけがえのない時間
宝のような記憶
出逢えたこと…
それも決して消えることはないのだと
気付かされました。
「痛みは、傷を教えてくれるもので、傷があるのは、あの日が在った証明なのだ」
「あの日以前の全てが、在ったことの証」
10年経ってそんな風に思えたこと
それはすごいことだなと思いました。
苦悩の夜を何度も乗り越えて来たからこその
言葉だと思いました。
自分自身も、春馬くんを失った哀しみ
この現実から
前に進むことはずっとできないのかもしれない。
だけど時は変化を生む
傷は消せなくても
羽生さんのように
立ち止まって、振り返ってを繰り返し
考えて考えて、その中から
紡ぎ出されるものがあるのかもしれない。
そう思いました。
10年後…想像もつかないけど
春馬くんへの想いを胸に頑張っていられたらいいなと思います🍀
最後に昨日新聞で読んだあの日の体験の話です。
あの日3人のお子さんを同時に亡くされたお父さん
子どもの頭を撫でたい時ににいない辛さは
10年経とうが20年経とうが変わらないと言います。
だけど人の輪の中で生かされたこの10年間
自宅の跡地には
“子どもの賑やかな声が聞こえたら
3人も喜ぶのではないか”と声をかけられ
大きな木工遊具を作ったそうです 。
「虹の架け橋」と名づけた遊具
そこで出逢った仲間たち
彼らからもらった言葉
それが勇気を絞り出してくれた。
親が流したこれほどまでかという涙雨に
いつしか虹が懸かったと
お父さんは言います。
「虹は毎日出ない。つかむこともできない。でも感じることはできる。感じられる幸せもある。おんちゃんは子どもたちと毎日会えないけど、空に虹が懸かった時は会いに来てくれたんだと思えるようになったんだ」
抱え切れない想いを胸にしながら
こんなにも優しく温かい気持ちになれるんだ…
そう思うと涙が出ました🥲🥲✨
いつか
虹が出た時、大切な人が会いに来てくれたんだと
そんな風に心から思えるような
自分になりたい。
だかこそどんなに辛くても希望を忘れないで
毎日を過ごしたい。
そう思います🌸
春馬くん
これからみんなが春馬くんに会いに行くからね
かっこいい姿、見せてね!!𓃗 ⋆✨✨
いつまでも大好きな笑顔✨
You will always be in our heart.
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