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正解のない現場で、よりベターなほうへ進むために必要なちから。

突然ですが、すきな出版社はありますか?

すきな出版社って、なんだ。笑
ビジネス書をたくさん読むひとは、もしかしたら幻冬舎かもしれないし、写真集がすきなひとは、もしかしたら赤々舎かもしれませんね。
わたしは、すきだな、とおもった本は晶文社から出ているものが多く、晶文社がすきです。

でも、いちばんすきなのは、ミシマ社という出版社です。

なぜだかわからないけれど、ミシマ社が、というよりも社長の(社長! というイメージは、失礼ながらないのだけれど)三島さんの大ファンなのです。

三島さんとの出逢いは、もうまったく覚えていません。
ブックオフでこの本をなぜか手に取り、読んだことがきっかけでした。
でも、なんでこの本にピンときたのか、なにを思って手にとったのかはほんとうにおぼえていないのです。

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だけど、この本のもつエネルギーにただただ圧倒されて、わたしが求めていたもの、たいせつにしたいものはこれだったんだ! と衝撃をうけたのは今でも忘れないし、羅針盤のようにときどき読み返しています。

三島さんが出版社をつくろうとおもって、出版社をたちあげていくおはなしです。その方向性が「原点回帰の出版社」。だいじなことを思い出させてくれるような《 原点回帰 》ということばのひびきにとてもわくわくするのです。

新しいルールに乗らないことには、本当に生きていけないのだろうか。
乗る、のではなく、自分たちで、その次の時代のルールをつくっていくことはできないのだろうか。そのために、一度、原点に返ってみる、という選択肢はダメなのだろうか。

施設ではたらきはじめたいま、病院とはまったくちがう分野にいるんだ、と実感させられることが多いのです。

それは、看取りひとつとっても、ひとりひとりまったく違うのです。
食事をいつ止めるのか。
くすりはいつまで飲んでもらうのか。
点滴はどうするのか。

だれひとり、おなじ方法で対応することはまったくといっていいほどありません。

病院に連れて行ってよかったのか。
わたしの説明のしかたは良かったのか、悪かったのか。
家族へはどんなふうに説明したらいいのだろうか。

だれひとりおなじ人生はなくて、だれひとりおなじ価値観のひとはいない。

マルがもらえる絶対的な正解がないのです。

おもえば、病院では、『治療』という大前提の目的があって、水戸黄門の印籠のようにその名のもとに、すべてのことが正しいか正しくないかで判断されていく。

だけど、在宅や施設では、なにがただしいのかなんてだれにもわからない。そもそも絶対的な正解なんてないのかもしれない。そのなかで人生にむきあう、とか、寄り添う、ということは、葛藤してあたりまえなのかもしれません。

葛藤しながらも、よりベターな方へすすんでいくためにどうすればいいか。それが、この本でいうところの「野生の感覚を磨く」ということだとおもうのです。


もちろん、マズローの基本的欲求などの理論を使ってなにがほんとうにひつようなのか考えていくことはとてもたいせつです。

ですが、危険を察知する感覚、目の前のひとが不安を感じていることに気づける感覚、そういう知識やスキルでは補いきれない部分が「野生の感覚」を磨くことで、感度が上がる。


『野生の感覚』と『人間力』

あわせて磨いていけば、おのずからすすむべき方向は見えてくるようになるのかもしれません。

感覚と人間力。
両方みがいて、正解のない世界でよりよいケアを探していきたい、とおもうのでした。

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