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他職種とのつながりかたを考える。

チーム医療・チームケア、は成立するのか。
他職種でつくるチームのありかたについては、学生のころから考えてきた。看護をまなんだ場所が、理学療法士・作業療法士・言語聴覚士などのリハビリ職、放射線技師、そして看護師という5つの学科がある大学で、チーム医療について、なんどもなんども教育課程のなかでとりくんできた。
だから、どうにかしてチーム医療を実践の場で成立させたかったし、チームでかかわると患者さんにとってよりよいケアができるんじゃないか、っていつもわくわくする。

だけど、なかなかおもうようにいかないのが現実だった。

リハビリがメインの病棟では、まさに理学療法士・作業療法士・言語聴覚士と看護師とで、チームをつくり話し合いをなんどもする。だけど、それぞれが専門職であり、専門職からみていちばんたいせつなことは、それぞれちがう。「正しい」とおもうことはそれぞれがみんなちがうのだ。

リハビリの側面から言えば、夜中でもトイレに行けるときは歩いて行ってほしい。だけど、夜勤帯、看護師の人数はとたんに少なくなる。そして、その看護師の少ない時間帯にかぎって、というか患者さんたちの「トイレに行きたくなる時間帯」は決まっていて、ナースコールの集中豪雨にあうことになる。トイレに付き添っているあいだにほかのひとからナースコールで呼ばれ、待っていられないひとだったからあわてて行ったら、トイレで待ってくれてるはずのひとがひとりで動いて転倒してしまった、なんてことになりかねない。
そうすると、リハビリ職が「こう対応してほしい」と言うことでも簡単にわかりましたと言えなくなる。すると、「リハビリを進められない要因は看護師だ」というような感じになって、チーム間の対立がうまれてきたりする。

そんなふうに、リハビリ病棟ではたらいていたときには、『専門職としての見解のちがいゆえに起こる対立』というのが、よく起こっていた。

ところが、施設になると、若干ようすが違うような気がするのが正直な感触だ。

介護保険制度が成立してまだ20年もたたない。
でも、施設はそれよりも昔からあり、施設が先にできて、介護についてなにもしらないまま働きはじめ、働きながら「介護士」「介護福祉士」を取得したひとがほとんどの介護職。

もちろん、学びを深めたり視野が広かったりして、専門職として建設的な会話ができるひともいるのだけど、残念ながらそうじゃないこともけっこうある。いや、職種がちがうのだから、もっている知識がちがうのは当然だとはおもうのだけど、そこではないんだよなぁ。
じゃあなんなんだろう。
ほんとうにひとによるのだともおもうけど、「じぶんで考える」ということをしないのかできないのか、看護職を『お母ちゃん』だとおもっているひとがたまにいる。

「〇〇さんのここに傷ができてるんですよ」
「△○さんが下痢なんですよね」
「〇〇さんの・・・」

さっき聞いたよ!

みたいな。看護職のほかのひとにもおなじことをなんどもなんども言うものだから、それは報告ではなく、ただの不安をぶちまけている状態だということに気づいていない。

こういうひと、けっこういる。

利用者さんの様子がおかしくて、血圧を測ったりしている最中に「あ、ぼくより高いですね」などとまったく関係のないじぶんの健康問題をぶっこんでくるひと。

「この事故は、パソコンに入力したほうがいいですか? それともノートでいいですか?」
起こってしまった事故の処置はするけれど、その報告をどういうかたちでするかは、職種はちがうけど、看護は介護の上司ではありません・・・。それを朝の忙しい時間帯に3回も聞かれたことも。

そういうひとと接すると、看護師と介護士って、いっしょにはたらくチームメンバーでありながら、もしかして教育的かかわりをする必要があるのかもしれない、とおもうこともある。

こんなことを言うと、noteを読んでるような意識が高い介護士さんからはひんしゅくを買うだろうけど、これが介護施設のリアルである。

注意する、とか、介護の上司に注意してもらう、とかだけではない、日常の会話のなかで、答えをすぐに伝えるのではなく、じぶんで考えることができるように促すなどという姿勢も必要なのかもなぁ、とおもう。

病院では、看護師は階段をのぼるように身につけるべき役割があって、それにともなって課題もあり、その課題をこなしているときに、おしえてくれる上司の存在があったりして、割としっかりした教育体制がしかれている。
介護施設ではそういうことがむずかしいというのもあるのかもしれないけれど、介護士というプロフェッショナルである以上、教育体制についても考え直してもいいのかもしれないとおもう。

年末にあまりにもひどい態度の介護職種が、叱責されたみたいで、わたしのところに「いそがしいのになんどもなんども報告して、手を止めさせてすみませんでした」と謝りにきた。報告するのはべつに悪いことはないけれど、とおもっているわたしは「?」マークだったけれど、考えもしないで行動することについての叱責だったみたい。
だけど、新年をむかえ、気持ちもあらたに、またおなじようになにも考えない報告を繰り返しているのだった。

職種がちがうと、なかなかむずかしい。

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