見出し画像

予防よりもたいせつなこと。

「病気になったことで、予防の大切さを伝えたいんです」

と、活動しているひとはとても多い。
実際、予防はとてもたいせつ。病気にならないためにどうしたらいいか。
わたし自身、病気になって、いま薬を飲んでいるので、ふつうのひとなら大丈夫な菌でも感染してしまうことがある。免疫力を抑えているので、感染にはもっぱら弱い。だから、感染しないように、という《 感染予防 》はとても気をつかうし注意する。

ただ、『病気を予防しよう!』ということを伝えたいとはまったくもっておもえない。
わたしの場合、予防することができる病気ではないというのがおおきいのだけど、それよりも、治療法が確立されていない病気だからということがもっとおおきい。
治療法が確立されていないということは、元気な状態には戻りませんよ、と西洋医学の病院では言われているということ。手術ができる病気だって、手術をしてその臓器をとったとしても、からだ自体が病気になる前とおなじようになるわけではない。
つまり、難病じゃなかったとしても、病気になってしまったら、治療したってきれいさっぱり元通り、というわけにはいかないのである。

だから、病気とうまくつきあおう、ということのほうがたいせつだとおもうのだ。

症状はからだからのメッセージである。

いや、症状は症状でしょ。胃潰瘍になって胃が痛くなったっていうちゃんとした医学的な理由があるでしょ。

そういう反論が聞こえてきそうだ。
だけど、医学的に完全に説明ができないことだってたくさんある。それに、医学的に説明ができたとしても、それでもやっぱり、症状はからだからのメッセージであるとおもう。

「苦手な患者さんの前だと、からだは患者さんのほうを向いていても、足は外がわを向いてたりするのよね。からだは正直だから、そういうところにあらわれちゃうのよね」

学生の頃に講義のなかで先生が話していた。
そう、あたまではなんとかしているつもりでも、からだはうそをつかない。いや、からだはうそをつけない。

2018年の12月。
熱が上がったり下がったり。もう大丈夫かなと思ったらまた上がり。なんだか息苦しい感じは続いているけど、熱が下がったなら、仕事に行かなくちゃ。わたしはそう思っていた。
いや無理でしょ。
家族からなんとかして止められて、そうか…と職場に連絡してお休みをいただいた。
入院したのはその数日後のことだった。

わたしは、入院手前の状態でも、仕事に行こうとしていたのだ。

じぶんのからだとちゃんと会話ができていない、あんぽんたんなわたしだから、からだが強制終了を出した。
がんばる、ということが、どこまでがんばれるのかがわかっていない。どこからが《 無理 》なのか、どこまでが《 無理しない 》なのかがわからない。だからいったん、ちゃんとやすんでください、とからだから言われたのだろう。

それからは、ひたすらからだの声を聞くようにして、無理しない。疲れたらやすむ、をがんばった。

全身性エリテマトーデスになったのは当然ながらはじめての経験で、なにをどこまでしてもいいのかわからない。寒暖差が激しい日、なんだか急にからだが動かなくなってしまうような感覚になったこともあったりして、からだが何にどう反応するのか、ひとつひとつ確認しながら過ごしていった。

体力が回復しきっていなかったせいか、1日出歩いた次の日は1日中ぐったりしてからだが重くて動かなくなったりもした。ベッドに横になっているだけで、大好きな本を読む元気すらない。本を持つ元気も、文字を追う意欲もないほどからだが重くなってしまって、なんでこんなにいうことを聞いてくれないんだろう…と涙した日もあった。

そうするうちに、すこしずつ、ほんとうにすこしずつ、じぶんのからだとの付き合い方がわかってきた。
疲れが取れないときは、もったいなくても休みの日はひたすら寝る。休みの日に家事をしないなんて、なんだか罪悪感がわきそうな気もするけど、気にしない。しょうがない。遊びに行きたいのに行けなくて、悲しくなるけどしょうがない。ただただひたすらからだに身を委ねて、眠くなったら眠り、本を読めるときには本を読む。
気が滅入らない程度にやすむ。

そして、嫌なことはしない。
やらなきゃいけないかもしれない、とか、したほうがいいかな、とおもうけど嫌なことはしない。

それから、泣きたいときは泣く。

まだまだ、感情のコントロールの方法は模索中だし、練習中だけど、それでもすこしずつ、じぶんをたいせつにする過ごしかたがわかりつつある。

症状は、からだからのメッセージである。

なにかにイライラしてる?
最近歯をくいしばってることが多い気がする…がんばりすぎてるかも。
不安に感じてることがあるかも。
ああ、あれされるの嫌なのにいやだって言えてなかった。

からだとむきあってみると、ふと、そんなことに気がつく瞬間がある。
無視していたこと、見たくなかったじぶんの感情、なかったことにしておきたかった悲しみ、そういうものに気づくのもつらいけど、どれもぜんぶじぶんの大切な感情。
そんな感情をたいせつにすることから、じぶんを大切にすることがはじまっていく。

からだを無視して動きつづけないで、この世でひとりしかいないじぶんを大切にしていきたいとおもう。

いつもありがとうございます! いただいたお気持ちをパワーに変えて、どんどんまわしていきます!