しあわせの循環は、すでに。
突然ですが、わたしはMr.childrenがだいすきです。
中学1年の秋、文化祭のかたづけをしているときに、校舎のほうからながれてきた『CROSS ROAD』に一瞬で魅了され、以来25年ものあいだ、ずっとミスチルの音楽とともに生きてきました。
はじめてライブに行ったのは『Regress or Progress』というツアー。広島グリーンアリーナのステージ横の2階席で、踊る桜井さんをはじめてみて、衝撃を受けたのをおぼえています。
以来、ツアーにはほぼ毎回…ここ近年のホールツアーはチケットがとれないこともあり、行けてないものもありますが、ほぼほぼどのツアーも行っています。
ライブに行くと、ふだん聴きながしている音楽の、そのことばがこころのおくのおくめがけてずきゅーーーーんっ!! と突き刺さるので、いつも「わたしのために歌ってくれている!」と感じてしまう痛い子なのです。
学生のころなんかは、なんとなくじぶんでいちゃいけないような気がしていて、何ものかにならなきゃいけない感じがあったので、『終わりなき旅』の
難しく考え出すと 結局すべてが嫌になって
そっとそっと 逃げ出したくなるけど
高ければ高い壁の方が登ったとき気持ちいいもんな
まだ限界だなんて認めちゃいないさ
・・・
誰の真似もすんな 君は君でいい
生きるためのレシピなんてない ないさ
のあたりがうたわれるときには、なみだ、なみだ、でうなづきながら「うんうん、わかったよ…がんばる」となきじゃくってました。こわすぎる。笑
でも、ライブだからこそよりいっそう伝わってくるものがたくさんたくさんあって、とくに、『POPSAURUS』ツアー(最初のとき)のツアーのなかで、Hallelujahという曲でみんなで ♪ハッハレ ハーレ ハレールウ ハレ ハレールウー♪ と歌いながら、桜井さんが♪負けないようにー枯れないようにー♪と重なり合いながら『花-memento mori-』という曲に変わっていく、そして、それとともにステージ中央上にある恐竜のあたまが徐々に開いて花になっていく様子なんて、もう圧巻としか言いようがないすばらしい演出でした。
チケットもすべてとってあるのですが、時間がたってap bank fesのリストバンドが朽ちていて衝撃でした。
どんな席でもたのしくて、横浜スタジアムの2階席のほぼいちばん後ろという、ステージなんてひとつも見えないくらい遠い席でも、「今日は昔のTシャツ着てるひと多いねー」なんて桜井さんが言おうものなら、着ていたPOPSAURUSのツアーTシャツ(このときはたしかシフクノオトツアー)を前にひっぱって必死に見せたり。絶対見えないのに。
人目が気になって、自然体ではしゃいだりできなくて、おとなしいいい子で生きてきたわたしは、時にエソラやイノセントワールドやシーソーゲームなどでおどり、音楽に身を委ねるライブは、まさにしあわせな空気につつまれて溶け込むような体験だったのです。
ああ、しあわせ。
しあわせすぎる。
そして、わたしがおもったのは、
このしあわせを循環させたい。
でした。
なにかしたい。なにかじぶんができることをしたい。
ずうっとそんなふうに考えて、だから仕事じゃない場所で、なにかできないか。なにか、じぶんでできる仕事を。
わたしは、受け取ったしあわせを循環させることは、仕事としてはたらいているこの場所ではできないと思い込んでいたのです。
あれからずいぶんと年月がたって、いろんな経験をして、ようやくわかったことがあります。
それは、しあわせに浸ればひたるほど、そこからもうしあわせの循環ははじまっているんだということです。
想いはつながって、つながって、連鎖反応を起こします。
せっかくつないだ想いだもん。プラスの力に変えようよ。
どこでだったか忘れてしまいましたが、これもどこかで桜井さんが発したメッセージのひとつ。
じぶんが笑顔になれば、そこからもう誰かをしあわせにすることができるんですよね。だから、「循環させなくちゃ」と気張らなくてだいじょうぶ。「循環させなくちゃ」と、なにかをがんばろうとしなくてだいじょうぶ。
しあわせになって、だれかにすこしやさしくなれたらもう、それはしあわせの循環がはじまっている。
だから、遠慮せずにしあわせになっていいし、だれかに与えようとがんばらなくていいんです。きっとそういうことなんだとおもいます。
だからどんどん、しあわせになっていきましょ。
いつもありがとうございます! いただいたお気持ちをパワーに変えて、どんどんまわしていきます!