身体感覚を考える(4)妙案は思いつかないが

 私を含めて多くの人は,身体感覚に対しては鈍感な方がむしろ普通なのだろう。「気になること」となるのは,症状と呼べるほど不快感が増強したり,なんらかの事情で意識化する必要に迫られた場合だけなのだろう。
 かりに,たった今「自分の身体感覚に注意を向けてみなさい」と言われると,「そういえば肩が凝っているな」とか「頭がぼーっとしている」「お腹がすいている」など,誰でも体のさまざまな部位で違和感を感じることができる。ただし,言われただけでは持続的に注意を向けることはできず,いつのまにか「気になること」ではなくなりなり,やがて忘れてしまいがちだ。このため「身体感覚は心と体に役立だつ」と主張しても,かすかで漠然としている感覚を効果的に「気になること」にできる方法がないと話にならない。
 これに関しては残念ながらまだ具体的な妙案がない。しかし,少なくとも「身体感覚に気を配ろう」などと呼びかけるだけでは効果がないとは思っている。これは世の中のこと,全般にいえることだが,抽象的な呼びかけはせいぜい一時的な効果しかなく,自分にとって関心が持てないことは役立つどころか,記憶にも残らないことが珍しくない。
 たとえば「ストレスをためないようにしよう」という呼びかけがある。しかし耳にして実行できた人がはたして何人いるだろうか。たいていの人は「今し方,耳にした」ことさえ忘れてしまうか,せいぜい内容を伴わない空虚な言葉として記憶に残るだけだろう。
 それもそのはずである。たとえば,もし患者さんから「では,どうやったらストレスをためないようにできるのですか?」と問い返されときに,適切なアドバイスができる医者はごく少数だろう。
 私の場合も「ストレスをためないように」などとアドバイスしたくなるときは,むしろ具体的なアイデアが思いつかないので,「ストレスをためないように」などと月並みな言葉でお茶を濁そうとしている場合が多いようだ。
 同じような話はいくらでもある。たとえば以前「ポジィティブ思考をしよう」という呼びかけもよく耳にした。その呼びかけを耳にした人のなかには「それができないから困っているんだ」と反発したくなった人もいたに違いない。その言葉は製薬メーカや健康食品メーカの売り上げに貢献したかもしれないが,呼びかけぐらいではその人に根付いた思考パターンを変えられるものではない。
     

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