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子どもに「世界は私の味方」と思えるように育ってほしい。母である私が心掛けていたこと 2

1の続きです。
「アドラー心理学」を知り、自分の生い立ちも振り返って
「世界(世の中)は私の味方である」という感覚が
娘のなかで育ってほしいなと思った私。

じゃあ具体的に何をしたのかというと、
とても些細なことなのですが。
毎日の中であった小さな嬉しいこと、幸せなことを
たくさん言葉にして娘に伝えていました。
まだ何もしゃべれない娘に向かって、

「今の店員さんとっても親切だったね。ママ助かったよ」
「今の電話対応してくれた人めっちゃ優しかったわ~」
「連絡したらヤマトさんすぐ来てくれた!仕事がはやい」
「マンションの管理人さんいつも声かけてくれてうれしいね」
「今日はお天気がいいね、お空の青がすっごいきれいだよ」
「この間来た時よりタンポポめちゃくちゃ咲いてるね!
うれしいね、かわいいね」

そんなの言ってもまだわかんないよと言われたりしましたが、
なんとなく少しは伝わっている気がしたのです。

私が嬉しいことを話しているときの娘は
抱っこ紐に入りながらじっと私を見つめていました。

本当に感じたうれしさの3割増くらいにはなりましたが(←、
意識しながら小さな幸せを見つけて拾いました。

「ママは誰かになにかしてもらえて助かったんだ」

「ママは嬉しいんだ」

「ママを助けてくれるこの世の中はいいものなんだ」

そんなふうに思ってもらえるとうれしいな、と思いながら
話しかけ続けました。

イメージは、忙しさの中でうっかり通り過ぎてしまうくらいの
ささやかな幸せを
ひとつひとつ手に取って、子どもの目の前に持って行って
「ほら」と見せてあげるような感覚です。

なんて些細である意味面倒な仕事なんだろうかと思いました。
でもなんて壮大で、意味があって、幸せな仕事なんだとも
思っていました。

娘は成長して、
一緒にささやかなことを喜んでくれる子になっていきました。
私が今や通り過ぎてしまうような小さな幸せを
「ママ見て!」と手に取って見せてくれて
小さなことを面白がって、よく笑って
人の悪いところではなく良いところを
見てあげられるような子になっていると思います。

それは娘がもともと持って生まれた性格なのかもしれません。
でも少しは自分の努力したところが
いいように作用したのかも、と思うと幸せです。

娘は去年小学校に入学しました。
入学してしばらくして、もう帰りはお迎えに来なくていいよ、と言われました。
交通量が多い地区に住んでいるので心配で、
でも大丈夫?(一番交通量の多い)場所までは迎えに行こうか?と言うと、
次の日の時間割の準備をしながら、こともなげに
「だいじょうぶ~。こまってたら、誰か助けてくれるから」
と言いました。

それを聞いたとき、あ、この子の中で、世の中はちゃんと味方になっているんだ。と思い、
とても嬉しかったのを覚えています。

今では娘を抱っこして
ずっと一緒に同じものを見つめることはなくなりましたが、
娘の中に少しでも私との記憶が
根を生やしてくれていたらいいな、と思っています。


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