見出し画像

【出産レポ①】前駆陣痛から出産まで 〜無痛分娩、吸引、そして鉗子〜

先日臨月の投稿をしたきりでしたが、先日、無事出産を終えることができました。
産後の色々もまだある中ですが、なかなかの体験をしたと思うので、出産・産後レポートを綴ってまいりたいと思います。

今回は予兆から出産まで。

39w4d、予定日3日前

直近の健診で推定体重が約3000gと言われていたので、あまり大きくなる前に、予定日よりちょっと前くらいに産めたら私も子も楽だな〜と、近所を歩いたり、家の中で段差昇降やストレッチをしていた頃のこと。

早朝、お腹の痛みで目が覚めてトイレへ行くと、おしるしと思われる粘性の鮮血が。
それからしばらく断続的に生理痛のような痛みが腰にかけてあり、間隔を測るとだいたい7分間隔で、それが1時間くらい続いたため産院へ電話しました。
元々初産で長引きやすいこと、産院が家からタクシーで10分くらいと近かったこともあり、10分間隔になったらとりあえず電話して、病院に来るのは5分間隔くらいになってからでもいいと思うよ、と言われていました。
そのため、電話した際に「じゃあいつ来れる?」と聞かれて、呑気に朝食とシャワーの時間をとってから向かうことにしました。
一応入院セットも持ってきて、と言われていたので、久々に重くて大きい荷物を提げ、1人でタクシーに乗り込みました。

結果、病院へ着く頃には少し治まっていて、間隔も一定ではあるものの強弱に波があり、前駆陣痛だろうとのこと。
痛みの間隔カウントにばかり気を取られていたのですが、強弱も関係あるんだな…とひとつ知識を新たにして、その日は病院を後にしました。
「強」のときは割と痛かったんだけどな〜…。

その日から、同じような痛みが不規則に起こるようになりました。

39w5d、予定日2日前

またもや早朝、尿意とも便意とも思える感覚で目を覚ましました。
前日にあんなことがあって、「もう前駆陣痛には騙されまい」と思っていたので、朝、昼前後、夕方、晩ご飯中と痛みはあったのですが、間隔や痛みの強弱が不規則なものは気にしないようにして過ごしていました。

22時頃、まだ寝る気はなかったもののやることもなくてベッドに横になってゴロゴロしていると、また痛みが。測ってみるとおよそ10分間隔に。
しかし途中ずれたり、波があったりしたので「また前駆陣痛かな…」とひたすら耐えながらカウントしていました。

24時をまわり、結構間隔は一定で今までより痛かったので、本陣痛が来たときの練習として、痛み逃しの方法を試してみることに。
膝を立てるとマシかも?軽く右向くなど横向きだとマシ?と考えている間にも痛みは強くなっていきます。下痢なのに出ない感じ。
座ってお尻に拳を当てるとか自分で腰をさするとか、立って前屈みになったり歩いたりすると和らぎました。
その頃にはおよそ7分間隔になっていました。

39w6d、予定日前日

深夜からの痛みが依然続きながらも、4時頃には眠気もあり、でも痛みで眠れず、の状態でカウントもろくにできないままうとうと。
5時台には寝ることを諦めて、ひたすらカウントと痛み逃し。
だんだん痛んでいる時間が長く、間隔も4〜5分くらいになってきたため、さすがにこれは…と思って、8時頃産院に電話。
隣で眠っていた夫も起こしながら、「今日生まれちゃうかもよ?」なんて言っていました。

電話では前回と違い、朝ご飯を軽く食べて産褥ショーツを履いてくるように、とのこと。
おしるしも引き続き出ていたので下半身のみさっとシャワーを浴びて(本当は全身浴びたかったけど痛みに耐えきれず断念)、またもや1人でタクシーに乗り込みました。
本陣痛でも一度遠のいて家に帰されてしまう事例もあると聞いていたので、今度は入院セットを置いて、本格的に始まったら夫に持ってきてもらうことにし、身軽な状態で産院へ。

9時頃到着するも真っ直ぐ立っていられないほどの痛みで、机等に寄りかかりながら受付等を済ませ、診察。
内診の前に分娩監視装置の方行ってもらって、と言われましたが、痛そうにしている様子を見て、やっぱり先に内診しましょうということに。

子宮口4cm、赤ちゃんもだいぶ降りてきているとのことで、その場で入院が決定。

改めて状況確認で10分間隔になったのが22時頃、厳密にはまだ不規則だったので24時頃、と伝えると、「その時点で連絡しないと、9時間も放置して、赤ちゃん弱ってたらどうすんの」と怒られる。
「放置」と言われたのがショックで、だって2日前に前駆陣痛って言われたから強弱とか間隔とか測りかねて…と落ち込んでいると、「次からね、気をつけるように」とのお言葉。
そうですよね。赤ちゃんのことを一番に考えた上でのお叱りですよね…と反省。

しかしそこからも長かった…。

どうにか痛みに耐えながら個室へ行き、分娩監視装置を装着。
4分間隔だった痛みは7分間隔に遠のいていましたが、普通に激痛。
しかし11時時点でまだ子宮口は変わらず4cm。
昼ご飯が出て、なかなかの美味しそうさに期待しつつも、痛みであまり食べる気になれず、食べやすいものだけ少しいただいて横になっていました。

13時頃で子宮口5cm。
その頃には痛みは2〜3分間隔に。
数時間ごとに様子を見にきてくれるので、呼吸法などの痛み逃しを教わりながら、ひたすら耐える。
基本的に1人にされているので、お尻にテニスボールを押し当てたり腰をさすったりは完全セルフ。肩を痛めそうになりながら手を背中に滑り込ませるなど、痛みの中試行錯誤。
分娩中なら助産師さんが、コロナがなければ付き添いの夫などが背中をさすったりしてくれたのかもしれませんが、とにかく1人で分娩監視装置の数値と時計とにらめっこしながら過ごす時間はなかなかの苦痛でした。

子宮収縮の数値は、痛みの波の2〜3回に1回99を叩き出していました。
そんな中でも唯一の救いは、同じ画面に表示されている胎児の心拍と胎動。ちゃんと規定値内を保ち、たまにいつものように動いてくれると、赤ちゃんは苦しくないんだなと思えて救われました。

バースプランでは、基本自然分娩で行って耐えられなくなったら無痛分娩に切り替えるつもりでしたが、陣痛開始から15時間が経過した15時頃には心が折れかけ、無痛分娩も視野に入れるようになっていました。

16時半頃、いきみたい感じが強く、分娩監視装置をつけたままトイレに。
正直、胃腸が弱くよく下痢をしていたのと、生理痛が割と重い方だったので、お腹の痛みには慣れているからと強気でいました。
しかしこの長時間に及び出して治めることもできずまだ先も見えずに続く痛みに、トイレの中で絶望し、無痛分娩への切替えにだいぶ気持ちが傾きました。
精神的にもそうですが、身体的にも、このまま痛みが続くと緊張で疲れて分娩の時には力尽きてしまっていそう。その方が良くないのではないか、という言い訳まで考えていました。

17時頃、先生の内診。
やはり陣痛が進まないため、陣痛促進剤を使うことに。促進剤を使うと痛みは強くなり間隔も狭まってくるが、それで進行が早まるかはやってみないとわからない、と聞き、「あぁ、これ以上は無理だ」と悟り、無痛分娩の麻酔を打ってもらうことに決めました。
無痛分娩の同意書が入院セットの中にあったので、夫に持ってきてもらうことに。

19時半頃、内診ではまだ子宮口6cm。
もう少し進まないと無痛分娩の麻酔は打てないと言われ、翌日に仕切り直す選択肢も提案されましたが、エコーで見ると赤ちゃんの向きは良いとのことで、やっと念願の麻酔へ。

痛みと吐き気に耐えながら手術室(分娩室)へ移動し、オペ台で左向きに横になって背中を丸める体勢に。
ずっと感じていた吐き気がその時耐えきれなくなり、「吐きそう!」と言った途端嘔吐。
看護師さんの素早い対応で何とか受け皿に収めるも、鼻にも入るし陣痛は痛いしできれば吐きたくなかったから吐き気を我慢していたのにショックで、今までの辛さが堰を切ったように泣いてしまいました。
でもそこで泣いて声を出せて、少しすっきり。

20時頃、処置完了。休み休み部屋へ戻ります。
その後薬品を投与、効いてくるまで30分くらいかかるとのことで、40分くらいまでは変わらぬ痛みに唸りながら耐える。
21時前頃から唸らずに済むくらいに効いてきました。

分娩監視装置の子宮収縮の数値が14-15ぐらいで結構痛かったのに、麻酔が効いてからは20台はほぼわからないくらい、30台で痛み出すけどピークまで行って治ってきたら40くらいからもう気にならなくなるように。
以前の流産手術で全身麻酔した時のこともあり、麻酔信者になりそうでした。
麻酔自体は自動で45分おきに追加されるのが少しひやっとするくらい。痛みは今までを思えば全然耐えられるからと、夫などに連絡を取ったりしました。
陣痛促進剤を入れてから、うまくいけば2〜3時間で分娩と聞いていましたが、すでに4時間くらい経過。
今日中に産めるのかな…と他の人の分娩中の叫び声を聞きながらゆっくりその時を待ちました。

22時、内診。進行がゆっくりらしい。
今日中難しいのではないかと思い始める。

案の定、24時を過ぎ、日付を跨いでしまいました。
「今日生まれてほしいな」とずっと語りかけていたので、子はその通りに降りてきて良い位置にスタンバイしてくれていたのに、私の子宮と心が頑張れなかったばかりに…と申し訳ない気持ちで予定日を迎えました。

40w0d、予定日当日

0時過ぎ、尿をとってもらう。
麻酔しているからというのもあるけれど、子宮口が開いてきているため管でとるらしい。
続いて来た助産師さんが内診、子宮口9cm。
破水も少ししているようで、分娩室を準備してぼちぼち移動するとのこと。そういえばなんか小さくパチンっという感覚があったような。

1時半頃、まだ分娩室には行かず。
ちょこちょこ破水はしているも、大丈夫らしい。

2時すぎになってようやく全開、分娩室へ。
立ち会い出産を予定していたので夫に連絡し、呼び寄せる。
ここまでいつ来るかわからない連絡を寝ずに(うたた寝はしつつ)待っていてくれて感謝。

そこから陣痛の波のたびにいきみつづけること、4時間。
麻酔を入れる前はあんなに出したくていきみかけていたのに、痛みもいきみたい感じもあまりなく、どこにどう力を入れたらいいかわからなくなっていました。
それでもなんとか痛みは少しあったのでタイミングを図りながら、便を出す感じ、お腹に力を入れる感じを続け、助産師さんにも「合ってる、その感じ、頭見えてきてるよ」と声を掛けてもらいながらきばり続ける。
息を止めて力を入れるタイミングで頭を起こし、その都度夫に支えてもらう。
そのうち陣痛も弱くなっていき、ずっと頭は見えていると言われるも、どう頑張っても出てくる気がしませんでした。
眠気も空腹もあり、体力がなくなってきているのもわかりました。

6時すぎ、院長先生が登場。
自力での分娩が難しそうと判断し、麻酔を入れているのでそのまま会陰切開、吸引分娩、それでも出ないようで鉗子まで使用し、力を入れているうちにドゥルンっという感覚。
同時に「出ました!」という声、そして赤ちゃんの泣き声…。

7時前、無事生まれてくれました。

吸引や鉗子の際には少し苦しそうで、心拍が落ちることもありましたが一瞬で、必死に息を吸い、酸素を送り、心拍を保ち続けて安心させてくれた子。
出て来てすぐ産声を上げてくれて、無事生まれてくれたことを知らせてくれた、どこまでも親孝行な子です。
そしていじらしく愛しい泣き声…。
やっと会えた嬉しさと小さい命の尊さに自然と涙が出ていました。
生まれてすぐ母である私の体の上に乗せてくれたのですが、ずっしり重く、平均よりやや大きめの男の子となりました。

会陰は切開したところに加えてさらに裂けていたようですが、麻酔が効いていたので、一旦ベッドに預けられた子を見ている間に縫ってもらい、処置は完了。
夫と写真を撮ったり産院でメッセージ動画を撮ってもらったりとひと通り堪能した後、子どもは助産師さんに運ばれていきました。

その後出血確認と検温を、出産直後とその2時間後に行うということで、私は分娩台に横たわったまま過ごし、夫は帰宅していきました。

9時半頃には出血の状態も問題なく、足に力が入らないので車椅子で部屋へ行き、おいしいおいしい朝ご飯。
前日は昼ご飯も少量かつ吐いてしまい、晩ご飯も食べられる状態ではなかったので食べておらず、分娩中ずっと空腹だったので、また別の満たされる思いで味わいながら食べ進めました。

その時、予期せぬ事態が起こるとは、誰も知る由がなかった…。


出産までは以上となります。
陣痛開始から約30時間。2日間ろくに寝られず、長時間の痛みに耐えるも無痛分娩に切り替え、帝王切開以外のほぼフルコースを経験することに。
これはさすがに難産と呼んでいいですよね。

経験豊富なスタッフの方々と、付き合ってくれた夫に感謝です。

『コウノドリ』や『透明なゆりかご』という妊娠・出産にまつわる話を読み、コメント欄を見ていて、本当に色んなことが起こるし実際に経験している人の話は勉強になります。
私も当事者となり、色々と思うことが増えたなと思います。コメントしたいくらい。
言えるのは、やはり妊娠出産は母子ともに命懸けだということ、陣痛神話は早くなくなればいいと思うこと、色んなリスクも知った上で自分の選択をしていいということ、まだまだ妊娠出産については認知が低く知っておくべきことがたくさんあること、そしてどんな形でどれほど時間や労力をかけて産もうが母は偉大だということ。

この後起こったことについてはまた次の投稿で書かせていただきます。
端的に言うと私が死にかけました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?