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今年も桜が咲きました。憂鬱な日々を過ごしています。

例年になく桜の開花が遅れています。本当ならこの週末が満開のはず、、本校の桜の木にも、ようやく一輪の桜が咲きました。満開まではもうしばらく。入学式の頃、満開なのでしょうか。

この季節になると、ここ数年は憂鬱な日々を送っています。3月後半。さまざまなSNS上で退職しましたという報告が相次ぎます。退職では無く、皆さん次の職場への移動、転職なのです。最近では50歳くらいでも転職が可能です。(教科にもよります)ちょっと前では考えられない状況です。何処も人材不足、人手不足なのですね。私が憂鬱になっているのは、人の転職を目にすると、自分にとって働きたい場所が今の学校ではないという気持ちを再確認するからなのです。もっと違う働き方があるはずだ、もっと意欲に満ちている学校があるはずだという気持ちが年々強くなって言います。他の人と比べて自分が情けなくなってくるのです。何十年も同じ学校に勤めて今さら?と思うのですが、以前はこんなことは無かったのです。どうした?

とはいえ、私の年齢は60をとうに過ぎ、そろそろ社会から引退して年金生活でもと考える年代です。職場の人達もきっとそういう目で見ていると思うのです。(自分で勝手に思い込んでいるのです)もしかしたら自分の姿は滑稽に映っているのかもしれない。そんな思いも強くなっています。

転職をしている人はものすごく前向きに生きている人だと思うのです。学校なんて何処も良いところもあれば、悪いところもある。そう考える先生の方が多いはず。むしろ、波風立たない安定した環境で教師を続けたいという人の方が圧倒的に多いはず。だって楽だから。それを承知で別な学校に移動するのには理由があるからです。理由はその学校に魅力があるから。魅力ある先生がいるから。実は魅力ある学校って少ないんですよ。(基本的には私学を対象にして話していますのであしからず)自分に合っている学校、自分にとって理想としている学校ってどんな学校?人それぞれみんな違うはずなんです。そんな外の世界を知る機会を持ってしまうと、外に出たいという気持ちが急速に高まります。

まだまだ前向きに生きたい。もっと違う働き方があるはずだ。という気持ちと、もう歳なんでしょう?いい加減に引退したら?もう無理しなくていいよ。という人の声。そして他の学校で働きたいという気持ち。あと何年も働けないぞという現実。自分の中の葛藤は日々渦巻いています。驚いたのは自分の中にそんな承認欲求があったのかってことです。管理職も長くやって、様々な改革にも取り組んできたのだから、人に認められなくても成果は見えているはず。でも人に認めて欲しいのか?そんなことは気にしなくてやってきたはずなのに。こんな歳で人に認められたい、、そこに情けなさも感じるのです。自分の勤務する学校に認められて、それなりの待遇で勤務させてもらっているはずなのに、自分の勤務校で認められてもちっとも嬉しくもありがたくもない、、

一体、年齢って何なんでしょう。色々書いてきましたが、私は職場で言っています。「オレは死ぬまでこの学校に勤めるぞ」って。みんな笑っていますが、それがちょっと優しい感じなのがありがたいのです。

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