占い=物語づくりの外注 『物語は人生を救うのか』


検索欄に「しいたけ占い」と打ち込んだら、ああ自分は弱っているなと思う。元気なときは占いはいらない。けど、自分のなかで上映されている物語に起伏がなくなるとき、これになんの意味があるんだろう?と思い始める。2時間ずっと砂漠の映像を見せられてるみたいな状態になると、その膠着状態を打開するきっかけが欲しくなる。

気力があれば、自分でそのきっかけを作ればいい。砂の城を作り出すとか、誰かに会いにいったり何か新しい場所にでも行ったりすればストーリーは動き出すのだろうけど。その気力がないとき、占いはとても便利だ。自分のいまの状態に、勝手に意味を与えてくれるわけだから。よくわからないシーンに、解説をつけてくれる感じ。

人間は生きていると、ストーリーを合成してしまいます。人間は物語を聞く、読む以上に、ストーリーを自分で不可避的に合成してしまう。[…]
生きていて、なにかを喜んだり楽しんだり、悲しんだり怒ったり、恨んだり羨んだりするのは、その「ストーリー」による意味づけのなせるわざです。

千野帽子『物語は人生を救うのか』(p.14-15)

勝手にストーリーはできちゃうのだけど、その自動生成される物語を自分にとって心地よいものにしていくかは、たぶん技がいる。それが生きる知恵なのかもねえ。

うめざわ
*物語ってなんだろう〜とぐるぐるぐるぐる。物語を作るなってのが禅の教えなのかしら。


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