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江國香織はかぐや姫 『とるにたらないものもの』

江國香織が好きじゃない。でも、付き合いは長い。
中学時代、年上のお姉さんが恋人と『冷静と情熱のあいだ』を読み合いっこしたと聞いてすぐさま図書館に走り、高校の通学電車のなかで首をかしげたまんま『きらきらひかる』を読み、大学の女友達にはあんたにそっくりだと『思いわずらうことなく愉しく生きよ』を押し付けられ、ついこのあいだも、大好きな友人の誕生日に『泣く大人』を贈り、今も手慰みに『とるにたらないものもの』をめくっている。本棚には都合8冊の文庫本と1冊の詩集がある。(詩集のタイトルは『すみれの花の砂糖づけ』。江國香織にしかゆるされない甘美さだ)

えー結局好きなんでしょ、いや、そんなんじゃ、となぜか口ごもる。江國香織は、1964年東京都生まれみたいだけど、そんなの嘘だ。

わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、
きれいにすきとおった風をたべ、
桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
――宮沢賢治『注文の多い料理店』序より

江國さんがほんとに生まれたのは、こういう桃源郷だよ。
かぐや姫がなんらかの理由で地球に降りてきたように、彼女も異界から、このアスファルトとタバコと車の似合う街にたまたま旅してきたんじゃないか。だから、見るものすべてに真剣に驚けるんじゃないか。そんな気がしてならない。

江國香織の、とくにエッセイは、地球旅行記だ。すれっからしの地球生まれにとっては、世界はそんなに美しいのかと新鮮な発見がある。
エッセイ集『とるにたらないものもの』は、輪ゴムやレモンしぼり器、ケーキやフレンチトーストなど、日常のちいさなものの観察記録。生活という体臭に汚されていない、清らかで透きとおった感想が並ぶ。

砂糖
 コーヒーや紅茶には入れないし、料理にも滅多に使わないのだが、私は砂糖が好きだ。調味料としてではなく、それ自体の味が好きなのだと思う。白くてさらさらできれいだし。
 
塩は、ほんとうに素晴らしい物体だと思う。天然の結晶だと思うと、不思議で、みとれてしまう。まず、見た目が美しい。天日塩はふくよかだが凛々しく、岩塩は白が光を含んでいる。

この屈託のなさ!あどけない感性が精製されて、結晶化している。
あまい食べものが好きでなく、塩にうっとりする江國さんが焼き鳥について語ればこうなる。

焼き鳥
 焼き鳥屋には、だからいってみたいとも思わなかった。サザエさんの影響か、会社につとめていることが通行手形である場所のような気もしていた。
 はじめていった焼き鳥屋は新橋だった。たれをつけずに、塩だけでやいてもらった。料理としての焼き鳥の、シンプルでひきしまったおいしさにおどろいた。とても洗練された食べ物だと思った。

 以来よく焼き鳥屋にいく。焼き鳥にはちょっとくわしい、と、思う。随分頻繁に食べにいったから。焼き鳥屋にいくようになってから、ビールも以前より好きになった。ビールは美しいお酒だと思う。色もきれいだし(私は色のきれいなものにとても弱い)。

このあたりはなんかもう、ローマの休日感ある。ジェラートを食べて無邪気に喜ぶアン王女。そして、私乱闘もできるのよ!ってギターを思いっきり振り上げる姿。

もっとも江國香織っぽいなあと思うのは、これだ。文庫本3ページぶん、まるっと引用する。

固ゆで玉子
 戸外で食べるお弁当に、固ゆで玉子を殻ごともっていき、その場でむいて、いい空気のなかでぱくりと味わう、ということのできるひとに憧れる。
 とてもおいしく、幸福な感じを想像できるのだ。玉子の、しっかりした味がするだろう。空気のいい戸外でなら、塩の風味もいきるだろう。つるんとした白と、ぽってりとして黄色のコントラストは、みるだけでたのしい心持ちにしてくれると思う。口や舌ではなく、身体で味わうような健やかさと満足感があるはずだ。完璧なまるさで存在するそれは、一個まるごと身体に入ってこそ特別な食べ物になる。

 私は一度もしたことがない。これからもおそらくしないと思う。固ゆで玉子が、あまり好きじゃないのだ。まるごとのは、とくに。もかもかして、胸につっかえてしまう。なんとかのみこんでも、今度は胃が重くなる気がする。水分を、ゆで玉子に奪われる感じ。
 しかも、殻のかけらがついていることが非常に恐くて、私は昔から、他人のむいたそれは食べられない。自分でよくよく注意してむき、むいたあとで水道の水でざっと洗ってからなら、すこし食べられる。

 ほかの卵料理は好きなので、何も無理して固ゆで玉子を食べなくてのいいのだが、ほかの卵料理とはちがう特別なおいしさが、固ゆで玉子にはあるにちがいない、という気が、なぜかどうしてもするのだ。
 ことに、戸外では。
 それをぱくりと食べ、喉にも胸にもつまらせず、きちんと消化できる、という身体的な感覚はどんなにすがすがしいだろう。その場でむく、という無造作な行為も恰好いい。心も身体も健全なひとにしかできないことに思える。
 戸外で食べるお弁当に、固ゆで玉子を殻ごと持っていき、その場でむいて、いい空気のなかでぱくりと味わう。
 次に生まれるときは、そういうひとに生れたい。

ああ。ああ。なんだろう。
街は楽しいよ、庶民の暮らしもいいもんだよおいでって、ジョー・ブラッドレーになりたくなってくる。ゆで玉子作ってあげるから、ピクニックしようよって。もかもかしないように、ちょっと中身とろっとしたのつくるからさ。それなら食べられると思うよ。ほら殻がむかないような剥きかたも教えてあげる、cookpadってのがあってiPhoneで調べるとほら、ね。

だからさ、また教えてね。王女さまにしか見えない、人間の美しい表情を。その目から見ると、泥にまみれた人間の暮らしも、ガラスケースに収まるケーキのように見えるみたいだから。

うめざわ


おまけ:宇野千代さんについて、「ときどき、このひとは実在の人物ではなくて、架空の人なのではないかと思う」って書いているんだけど、江國さん自身がそうだよ……猥談さえもヴィヴァルディ!

この前お会いしたとき、宇野さんはずいぶん大胆な話、というかありていに言えば卑猥な話をなさったのだけれど、宇野さんの言葉は一つ一つに羽が生えていて、発音されるやいなや空にのぼってしまうので、私は神楽坂にあるそのお料理屋さんの二階のお座敷で、まるでヴィヴァルディでも聴いている気持ちになった。宇野さんはいつもの美しいたたずまいのまま、私の目をまじめにまっすぐに見て、とてもていねいな言葉で猥談を奏でる。
――江國香織『泣く大人』宇野さんのこと



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