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気高く食べる 千早茜『わるい食べもの』

いちじくを剥く。なまなましい行為だよなあといつも思う。よく熟れた果肉、つぶさないよう左手でそっと持ち、でも右手では生皮をびいっと剥いでゆく。丸裸になったらぐっと親指つっこんで、つぶつぶぬめぬめを割って指ごと口のなかへ。

フルーツって、ほら、一見洗練されてる感じするじゃない。あれですよ、貴族の邸宅にはフルーツ盛りがあったり、大富豪の愛人がバスローブ着てベッドに横たわって気だるげにつまんでいるのは大きなマスカット(イメージ)

けど、果物を食べることも、焼けた肉をむさぼるのと同じくらい野蛮な行為なんじゃなーい?と思っていて、そうそう思いだしたよ、このエッセイです。


私の大好物カテゴリ「女性の書き手×食エッセイ」のなかでも、爽快感がダントツ。自分をよく見せるために食べものを使う、みたいなことが一ミリもないのですよ。好きなものを、好きなように食べる。それを書く。動物的なてらいのなさ。

だって、タイトルも『わるい食べもの』ですよ。

「世間一般で『わるい』もしくは『いい』とされているものを食べに行きましょう」と担当T嬢が言った。ごはんを食べさせてくれるようだ。

この導入から最高ですよね。餌場をかぎつけたライオン。エサがもらえると思った瞬間に、耳立ててロックオンするうちの猫思い出した。

「いま『わるい』とされているものってなんですか?」
「糖質制限ダイエットブームですしね、炭水化物、乳脂肪。あとは、添加物、ファストフードなどでしょうか」とT嬢。
「じゃあ、京都ピネライス、金沢ハントンライス、長崎トルコライスという糖質まみれB級グルメツアーをしましょうよ!」
勢い込む私を、「『いい』のほうがトライする価値がありそうですね」とT嬢はさらりとかわし、勝手に店を選んでしまった、無情である。

たてがみをしょんぼりさせるライオンの姿が目に浮かぶ。
そして、表参道でグルテンフリー麺とデリのランチを食べさせられて、へろへろの葉野菜なんて味も栄養もほとんどない、なんの意味があるんだろうと偏屈爺になるわけだが。


身体によさそうとか流行ってるからとかバエるからとかそういう情報を食べるのではなくて、食べものそのものを食べようとする姿勢がまっすぐで気持ちがよいのです。
しかも旅行に行けばケーキ10個とか、同行者が身体を壊すほどよく食べる。旦那さんは料理人。食べものにむかう目つきが違う。


で、そうそう、くだものくだもの。こんなふうに果物食べる人、はじめて読んだなあと思って。

 […]たとえば、果物は私にとっては「狩り」だ。
 郊外の果樹園へ果物狩りツアーに行くということではない。果物を食べるとき、私は野生動物になる。生餌しか食べない飼い慣らされていない動物だ。自らの手で皮を剥き、匂いを嗅ぎ、滴る汁をすすりたい。

か、かっこいい… 食べるって殺すことだよなって思い出す。

 果物を食べるという行為は、皮を剥くところからはじまる。柑橘類、林檎、キウイ、西瓜、葡萄、プラム、桃、マンゴー、無花果、梨、柿、枇杷……我が家には季節の果物が必ずと言っていいほどある。変化を観察しながら食べる。いまは洋梨、青い洋梨のしゃきしゃきした剥き心地も、熟れた洋梨の刃にのったりと吸いつくような剥き心地も良い。果汁が滴ったり、果肉が澄んでいたり、外と中の色や模様が違うものが愉しい。バナナはちょっとつまらない。さくらんぼやベリー類もつまらない部類だが、薄い皮や粒が歯でぷつりと弾ける感触がいい。パイナップルは若干手に負えない感じがする。

バナナはちょっとつまらない!
パイナップルは手に負えない!
清少納言の食レポだ。かっこいい。

 果物は剥くときが一番香る。包まれていたものが一気に散らばる。水気をふくんで輝く断面からは甘い汁がにじみだす。剥かれた果物は宝石の内蔵のようだと思う。香気の中で、手と口を汚しながら一心に食べると恍惚とした気分になる。食べ終えたあと、皿に残った皮が黒ずみ、張りをなくし、だんだんと劣化していくのを眺めて充足感を得る。
(果物を狩るけもの p.62-63)

骨の髄まで噛みしだく肉食獣をみているようだ。剥かれた皮まで満足げに眺められたら、食われた果物も本望だろうよ。

そして、誰かの手(もしくは機械)によって剥かれ、切り刻まれ、時間が経過したカットフルーツ「死体」と呼び、野生動物と化している私は屍肉は食べないと言い切る。野生の気高さを見た。


うめざわ
*わるい食べものといえば、あれだなあほぼ日の『調味料マニア』の悪いめしだなあ。ガチョウの油で挙げたフライドポテトとか、バターとたらこが同量のたらこパスタとか… 悪い=カロリー高すぎて旨い。

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