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どうして弁当をみられるのが恥ずかしいのか 『私たちのお弁当』クウネルの本

この春から地味に変わったことといえば、弁当だ。お弁当、めっきり作らなくなったなあ。食べものを持ち運ぶって、なんかロマンあるじゃない? だからけっこう好きで、5年くらいは作っていたのだけど、在宅勤務じゃ出番はない。

お弁当なにがいいって、密度が高いこと。一食分が、あの四角い箱に収まってると思うといつも不思議なのだ。お盆にのせて、いろんなお皿に盛り付けたら、ノートパソコンくらいの面積をとるところがさ、弁当箱だとスマホ幅。省スペース。(細長の2段型を愛用中)

みちみちにいろんな食べものが詰まってるって楽しい。そうそう、ばくだん焼きみたいで、とここまで書いてふと思う。「ばくだん焼き」って、メジャーだっけか。底の深いボックスの紙容器で食べる、巨大タコ焼き型のもんじゃ風お好み焼き(書くほどに謎だ) ググる。ああ東京発祥のチェーン店なのね。高校生のとき、池袋のサンシャインあたりで食べた思い出。あれも、持ち運んで食べられるから楽しいんだろな。
http://www.bakudanyakihonpo.co.jp/fan/about/

ということで、弁当。弁当は、日常がそのまんま出るから、人のを見るのは楽しいよね。いまだとお弁当ハンターの阿部了さんが『おべんとうの時間』とかすんばらしい本作ってくださってる。私にとって弁当本のきっかけになったのは、クウネルのこちらの本。

いやあおもしろいよ。ひたすらお弁当の写真が47。それに作った人それぞれがコメントしている。もうねえ、そんなことするのー!!でみちみちている。
表紙のお弁当、なんてことはないように見えて、卵焼きは巻き簾で整えてたりね。彩りの定番といえばのトマトも、プチトマトじゃなくて、大きいトマトをしかもまるごと入れてる人もいるし、麺が食べたいからって焼きうどんとかパスタをタッパに入れてるのもあるし、ワインボトル用の細長い手提げ袋に小さいタッパーに入れたおかずを積み上げてコース風にしている人もいるし…

その人の好みとコストが釣り合ったところに、毎日のお弁当がある。弁当を見てると、みんないろんな事情とともに生きてるんだなあとじんわり実感する。

うめざわ
*昼休み、保冷ボトルからクシ型のスイカ出してきた同僚はかっこよかった。スイカ、好きなんだと。

*そいや、上野でおべんとう展行ったなあ。小学生の娘の「指示書」(にゅうどうぐも、しまうまのおしりなど)をもとに、美術家の小山田徹さんの作る弁当はアーティスティックだった。カンバスとしての弁当箱。



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