生存・表現の根源的問い

生存・表現の根源的問い

私には相対的意識状態のみに依拠する人物が表現の根源的問い、根拠を徹底して考察しているとは到底思われぬ。

人間存在の存在根拠は無意味こそ意味であるという方向無き人生観は単に一観点にすぎぬ。己の思考の不徹底を顧みぬ怠惰な自我、精神の所有者のみが言い放てる戯言である。

三島由紀夫も川端康成にも人生の方向性、死生観はしかと描かれている。そのような内容、物言いなど何処にあるというような人物は単に上っ面を読んでいるにすぎぬ。

何も言語表現に限らぬが洗練され、緻密であればある程空気の如くなり個人の押しつけ等と感じない表現というにすぎない。このような事は観る玄人から観れば自明すぎて蛇足であろうが。

私はこのような虚無的世界観の魂達に対して常に警鐘を鳴らし、問い続けてきた。無論、殆どが平行線のまま感情の衝突こそあれ交わることはない。如何なる表現も自己の裡に矜持が無ければ自己表現など成立はせぬし、持続は難しい。

ただ問題なのは方向性無き表現というものが可能か否か、であろう。表現に対する根拠、問いの探求自体が希薄であればどうでもよい問いである。

繰り返すが、表現という行為は単に芸術に限定されるものではない。狭義の意味での芸術、芸術至上主義なるものは単に自己保全、精神衛生的問題にすぎぬ。

極論すれば、我々の生存自体が表現即表現でもあるのだ。古今のあらゆる優れた表現は日常から汲み取られた精髄である。

今問題にしているこの問いは私が此処に前に掲載した拙文にも繰り返し書かれている。

若干迷ったが、敢えて、再掲載したい。

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「自分自身の足場を支えていた世界観の基盤が完全に崩壊すると世界そのものの様相が未知なる世界へと一変する。

謂わば、通常の正気と狂気の区別、或いは自他との意識の境界すら消滅してしまうのである。このような意識状態に於いて通常の実生活の中で己自身を保持するのは容易ではない。個人の自我が耐え難い極現状況に長時間置かれれば誰にでも起き得る事である。その底無しのような恐怖に対し、自我は生物的本能ともいえる自己保存本能により辛うじてバランスを保っているにすぎない。

人類の歩みは常に試練の連続である。個々人の自覚の差異こそあれこの試練から逃れる事は出来ない。又、試練自体他者との比較は意味をなさぬ。

純粋に生物存在の観点から観れば此処には試練という概念は存しない。人間存在に依拠した快不快、善し悪し等は自明だが人間のみにしか通用しない。

ただ、我々人間存在の備えている思考、叡智を徹底せぬ限りは単なる自然界の贅肉にすぎないだろう。このように言えば身も蓋もないと思われるが、人類の諸行為、現象は如何ともし難い程に悲惨暗澹たる様相を呈している。

我々の魂に稲妻の如く光芒を放つ直感は常に未知の世界から来る。感覚的肉体に依拠した既知のものに呪縛されている魂は真の直感の何たるかを知る事はない。此処に未知なるもの、異質の次元に対する恐怖や不安が生じる。故に常に古今を問わず、道なき未知へと歩む存在は日常では異形者たらざるを得ない。

近代から一気に加速した個人の受難は手を変え品を変えて今後も続く。

個々人の直感の意識化、日常化こそがこの試練を克服していく。だが、猛威を奮う唯物論に依拠した魂の群れは語るまでもない衣食住のみの生物的生に呪縛され、生成死滅する原理を打破することすらしないであろう。これを止む無しとすれば今後も更なる試練が各自の自覚に準じて果てなく襲い来る。

「我々の時代に至って、あらゆる境界は消失した。この消失は個人の魂に内的倫理的な課題を自らが背負わなければならぬ、という自己責任と自覚が伴う。この自覚は個々人の趣味趣向や個人的興味なども完全に消滅することを意味する。この個人の受難劇はあらゆる表現形式に及んでいる。この重責に耐えきれずに殆どの先駆的表現者は斃れた。この難破、方向を見失い自滅した魂の『表現者達の作品』を一瞥すれば分かることである。この難破した状態は依然として打破されずに異様な光景、百花繚乱の如き様相を呈している。さらには此の状況は今後益々混沌悲惨なる様相に加速していくであろう。」

「或る新聞で某識者が自我の未熟さを嘆いていた。この自我とは社会、世界に拮抗し得る自立した自我を指している。ただ問題は自我の質、内容である。

だが反転し、極論すればこの自我は唯物論に基づく基盤にある以上、民族や多国間との闘争、紛争に直結する自我でもある。

所謂、無私の精神に至った自我ならその様なことはない。ここに自己感情に属し、自己保存を克服せぬ個人の自我の問題がある。ただ、この問題は死生観とも深く連動している。

今日の悲惨暗澹たる様相はこの自我の実体を見極める探求なくして対処法は見いだせぬ。しかし、衣食住に追われる生々しい弱肉強食の原理が作動する現実の世界にあってこれは頗る困難なことである。」

2014年4月28日


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