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読書日記[一機]

☆月♡日
W・G・ゼーバルト『土星の環—イギリス行脚—』
この本を読んでいる最中に、他人にふと聞かれたのだ。小説読んでるんですか?これは物語ではない。だから、その点については否定した。かと言って次に自分がこの本のジャンルを説明できると思ったらそうはいかなかった。行脚というのだから旅の記録のはずなのだ。もしくは彼にとってはささやかな散歩の記録。だが、一言で旅行記みたいなものだとは答えられない何かがあったのだ。だからこう答えた。自分でも何を読んでいるのか分からない。実際、自己啓発系以外は雑食読書家の私だがここまでジャンルが謎の本に会ったのは初めてである。

著者は多分イギリスを旅でもなんでもしているのだろうが、如何せん話の知識と脱線の量が甚だしくどの章においてもさながら会話の一切ない話を心の蘊蓄を聞かされている気分になる。ここで不思議なのが退屈しないのだ。最初の数ページは正直苦痛だった。だが、波に乗ってしまえばどこまでも読めてしまうのだ。どうしてなのだろう。その理由は、文章の鮮やかさにある。

『季節はただ二つしかない、白い冬と緑の冬だ。9か月の間北極海から凍てた風が吹きつける。寒暖時計は眼を疑うような低いところまで下がる。まわりはただ渺々とした闇。緑の冬には小止みなく雨が降る。戸のすきまから泥が染み入って来る。屍そこのけのこわばりが解けると、芽生えて間もないわずかな命は容赦なく衰えていく。白い冬には万物が死に絶え、緑の冬には万物が死に向かう。』(p.103)

どうして、ふらり歩いているだけでこんな感性が湧いてくるのだろう。冬は何色でも死神なのかもしれない。でも、人生も全部冬かもしれない。万物は生まれた瞬間から自分が滅びゆく時へのカウントダウンを始めるのだ。どこを読んでいてもどこで生きていてもこんな思いがつき纏う。

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