ミーたち

 猫の話をしよう。私が初めて猫に出会ったのは、たぶん3~4歳の時だ。その頃、私たち一家は、祖父の家に引っ越して同居することになった。ちょうど、3つ上の兄が小学校に入学するタイミングだった。

 新しい我が家となった祖父の家は、「田舎の農家」という形容がぴったりとくる家だった。平屋建ての母屋は無駄に広く、芝生の生えた庭も同様に広かった。庭の一角には祖父の趣味の狩猟のパートナーである犬が2匹と、生ごみ残飯処理担当兼副収入用の雄牛(肉牛)が一頭飼われていた。私は動物が好きな性質だったので、大変嬉しかったのをよく覚えている。

 そして猫である。猫も飼われていたのかというと、実はそうではない。彼らは「いた」のだ。祖母が犬達に餌をあげるころになると、庭の垣根のあたりががさりと揺れ、ひとり、ふたりと猫が顔を出して様子を伺い始める。そして、犬に餌をやり終えた祖母が、庭の隅にあるお皿の方へ向かうと、猫達は飛び出してきて一斉にそちらへと殺到する。にゃあにゃあと喧しい声を上げ、祖母の足にまとわりつきながら一緒にお皿の所まで行進し、お皿に餌を空けたとたん、一斉にかぶりつく。

 ご飯をかき込みながらも、にゃうにゃうにゃうと、互いに餌をとられまいと牽制する鳴き声を上げるので、まるで水中で猫がしゃべっているかのような妙な声になるのが滑稽だった。

 そう、彼らは野良だったのだ。いや、祖母が毎日餌を与えていたので、「半野良」と言ったところか。常に3~4匹の猫たちが我が家に食事を取りに来ていた。私にとっての彼らは、犬達のような「家族」よりはもう少し距離の遠い、「近所の遊び友達」のような存在だった。

 そんなわけなので、猫たちには特に名前が付けられていなかった。我が家では彼らの事は一律に「ミー」もしくは「ミーちゃん」と呼ばれていた。よその猫は「猫」、うちのゲスト達は「ミー」なのだ。個々の個体を識別するような名前は付けらていないので、兄と猫の事を話すときは「白いミー」「目の色が違うミー」「声が渋いミー」など、彼らの特徴+ミーという、ネイティブ・アメリンカンのニックネームのような呼び方で区別をしていた。

 餌付けをするなんて、ミーたちは余程可愛かったんだろうと思われるかもしれないが、そこは「微妙」だった。猫なので可愛いには可愛いのだが、ルックス的にはどのミーも中の下くらい。控えめに言ってもブス猫ばかりだった。

 これには、祖父の家の立地に理由がある。祖父の家は、すぐ隣の敷地が中学校だった。垣根の向こうはもう中学校という、とんでもない近さなので、家の前は中学生の通学路になっているほどだった。

 当然、ミーたちも中学生の目に留まり、ちやほやされる。祖母の餌付けにより、ある程度人慣れしている彼らは、触られたり撫でられることに抵抗は無い。ゴロゴロと喉を鳴らしながら近づいていくような人懐っこいミーは特に人気があった。子猫が産まれたりすると、登下校の時間の度に毎日嬌声が上がるほどだった。

 するとどうなるのかというと、可愛い猫や愛想のいい猫から貰われていくのである。子猫や美猫、しゅっとした猫などは、いつの間にかうちの周りからいなくなる。残るのはやぶ睨みのミーや顔の絶妙な場所にかさぶたのような模様ができているミー、鍵尻尾で声がガラガラのミー、臆病でなかなか近づいてこれないミーなど、ブス猫ばかりになるのだ。

 歴史好きの人であれば、「尾張名古屋は信長・秀吉・家康が美人を根こそぎ連れて行ってしまったので不美人ばかりが残ってしまった」というジョークを聞いた事があると思う。私はこれを初めて聞いたとき、真っ先にうちのミー達の事を思い出した。

 子猫が産まれる度に、嬉しい半面、すぐに貰われて行ってしまうんだろうなという寂しさというよりは、諦めに似た気持ちになるというような場所。それが我が家だった。名前を付けずに「ミー」と呼んでいたのも、この出入りの多さが一因にあった。

 そんなわけで、我が家には常に3~4匹のミーたちが途絶えることなく出入りしていた。我が家は、中学生たちにとって、ある種の「猫流通ステーション」のような場所として機能し、猫が貰われていくだけでなく、捨てられたりもした。それでも祖母は猫の増減に頓着なく餌を盛っていたので、庭に出て少し見渡せばどこかに猫がいる、という、今思えばちょっと不思議な場所になっていた。

 ミー達は、皆一様にどこかがブサイクではあったが、一緒に生活しているとだんだんと可愛く思えてくるのが不思議な所だ。頭や顎を撫で、ゴロゴロと喉を鳴らしながら、ひっくりかえったり、もっくりかえったりする様子を見ていると、かさぶた模様がチャームポイントに見えてくる時すらある。が、よその猫を見ると、やはりうちのミーたちは個性的な出で立ちばかりだなあ、と再認識するのだった。

 ミー達との生活は、私が高校を卒業するまで続いた。犬も牛もいなくなった後も、ミー達は顔ぶれを変えながら我が家に立ち入り続けた。気がついたら庭のどこかに猫がいる。だけど家族と言うわけではない。そんな付かず離れずの距離感が、私と猫の最初の生活だったのです。

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