アナザーワールド

 2022年9月、3週目の終わり。
 ついに10年勤めた会社の最終出勤日を迎えた。

 絶対に終業式の子供状態になると言って笑っていたのが笑い事じゃなくなるくらいの大荷物は、私物はほとんど無くて、大半が色々な方から送別に頂いた品だった。
 両腕の限界を迎えて有料指定席に乗り、一息ついて開いた寄せ書きは、どれも私の知っている寄せ書きの概念を覆すような長文が綴られていて、たくさんの寂しいと悲しいと残念だと、それからもっとたくさんのありがとうで溢れていた。

 本当に本当に、愛していただいていたなと改めて思った。
 それから本当に本当に、チームのみんなのことが大好きだなと思った。

 退職をするかもしれないと上司との面談で口にしてから実際に退職の申し入れをするまで、2ヶ月近く延々悩み続けた。
 その時点で今の部署に居られないことは確定していて、10年間変わらぬ仕事しかして来なかったものだから、他所に行ってもスキルはないしもちろん自部署にメリットも皆無で、正直引き留める価値などない立場だったにもかかわらず、事あるごとに気にかけて他部署に行き先がないかヒアリングをしたり面談をセットしてくれた上司には今でも感謝しているし、それなのに離れることを決めてしまったことには今でも申し訳ないと思っている。
 いざ正式に手続きを開始することが決まったとき、10年分の積み上げの引継ぎは膨大だったし、私自身黙っていることが苦痛だったから、チームのみんなへのお知らせはなるべく早い方がいいと思った。
 両手で数えて少し余るくらいのメンバーをまとめて、質問を受けたり上からの指示を伝えたり、皆が働きやすいように調整したりするのがチームにおける私の仕事。
 規定上2週間前までに申し入れが必要だったが、最終出社日まで極力余裕を持たせて1か月半前にはチームの皆を集めて話を切り出した。

 言葉にすると陳腐になるが、端的に言って修羅場にしてしまった。

 どうしてそんなことになったんだ、いつから考えていたんだ、何とかならないのか、今からでも取り下げることはできないか、今ならまだ間に合う、どうかどうか考え直してほしい、いなくなったら自分がここにいる意味がわからない、寂しいけれどあなたの人生だから受け入れて背中を押したい、あなたの人生を優先させてほしい、でも寂しい、嫌だ、辛い、寂しい。
 悲しませてしまうと予想も自覚もしてたけれど、それでも想像していた百倍くらいのリアクションを受け、私が仕事上観測をしていた日次業務はなんちゃらショックの株価のようにガタンと垂直落下し、各々前部署やら退職した同僚やらに一斉に「無理」の連絡が入ったらしいと後に聞いた。

 全然違う世界の話だが、こんな気持ちだったりしたのかな、と思った。

 時を少し巻き戻すこと1ヶ月と少し前、私は大好きな推しの卒業発表に触れていた。
 1年半後にアイドルでなくなると知ったとき、悲しみに暮れ、意欲を無くし、答えのない問いと向き合い、無限に涙し、誰も見えない空間や画面の中にたくさんの言葉を投げかけた。

 私がもらった言葉たちは、その時自分や周りの仲間が残したそれらとよく似ていた。

 一緒にすんな!と誰もが思うだろうし私もそう思う。単純に馬鹿みたいに残業する古株がいなくなってただでさえクソ忙しい業務がさらにとんでもないことになるのは容易に想像できたし、要らん仕事が降りかかる不安とか、そういうシンプルに「困る」がきっと大半を占める話だ。
 慕われていようがいまいがこんな一介の会社員の勤続10年の退職話なんてきっとどこにでもよくある事で、同じ気持ち、とか一緒に括ろうなんて恐ろしいことは勿論微塵にも思っていない。

 それでもやっぱり少しだけ、ああ、と思った。

 その日から毎日のように「寂しいです」「考え直してくれませんか」と言ってもらえたこと。
 もう話は進んでいるのに、なんとかならないかと奔走してくれていた人がいたと知ったこと。
 チームのみんなが困らないように、時間の許す限りできることを全部やって行こうと思ったこと。
 単なる仕事仲間なのに、会えなくなるのが想像以上に寂しいこと。
 でも心は前を向いていて、どれもありがたいけど踵を返す理由にはならなかったこと。

 自分の体験とそこから来る感情に勝手に追体験をして勝手に食らって勝手に止めを刺されてしまって、何百回目かの「もう覆らないんだろうな」を自分のお気持ちで勝手に再確認した。

 これは本当に私の話として聞いて貰いたいのだけれど、見送る側の方が最後まで湿っているのに対して、辞めることを決めた人間というのは往々にしてさっぱりしていることが多い。
 10年もいると何人も何人も見送る立場を経験することになるし、同僚の退職がショックすぎて数日食事が喉を通らないこともあったくせに、いざ自分が辞めるとなったら私たちこれからどうしたらいいんですかと悲観に暮れる仲間たちを見て、みんなすごく仕事できるし知識もあるし何も心配いらないよ、私以上にしっかりとお仕事できてるんだよ、私も寂しいけれどみんなだったらきっと大丈夫、心配しないで頑張って、なんて思ったりするから人間はとても勝手だ。
 もしかしたら、私の退職がもしも半年早かったりしたら、みんなを元気づけたい一心で不用意にその「大丈夫」を口にしてしまっていたかもしれない。
 だけどこの1~2ヶ月で、去る側がどんなに根拠に基づいて大丈夫と思っていても、残る身からしたら大丈夫な訳あるか、となることも知ってしまった私は、どうしてもそれが言えなかった。そう思ってくれてありがとう、私も寂しいよ。ただただそこで言葉を切ることしかできなかった。
 いなくなる覚悟をしてもらわなくちゃいけないのはわかっていたけれど、ひとりの人間の喪失感のもとに、スキルとか知識とか、そんな根拠は全く持って無意味なのだとつい最近知らされた身で、そこから先を口にすることは憚られた。

 思っている以上にさっぱりしていて、思っている以上に寂しくて全然大丈夫じゃない。
 最終出社日を経てやっと得られた短めの休み。大分のライブハウスでキンブレを振って死ぬほど笑いながら、そんな相反する思いを巡らせて、でもこの感情は忘れずに取っておきたいと思った。

 どうかどうか幸せであってほしい。残して行ったチームのメンバーも、1年後に去っていく推しも。
 だから並べるものではないんだってば全然違う世界の話だろとは重々承知しているけれど。

 2022年9月30日、4月はじまりで言うところの上半期の終わり。
 今日をもって正式に、私の籍は切れる。

 大分滞在中に1回、今日も1回、「わからないところがあるから教えてほしい」と連絡が来た。
 引継ぎでは賄いきれなかった細かな話で、嬉々として必要のないことまで答えた。
 本来であれば私になんか聞かないで自分たちで頑張って欲しい、もう連絡しないでほしいと思うべきなんだろうか。だけど明日からも困ったら聞いてほしいと思っている。
 退職したらグループLINEを離脱するのが慣習だが、「居てもいいじゃないですか」の言葉に甘えて、今朝も乗りもしない電車遅延と遅刻の連絡を受け取った。
 もちろん辞めた社員の知識なんかに頼らずに業務を回せることが理想だから、連絡が来ないことが喜ばしいし悲しむことはないけれど、出来れば思い出して欲しいし、落ち着いたらご飯も食べに行きたいし、顔も出したいし、困ったのなら記憶のあるうちはいつまででも頼って欲しい。
 今の私はもう前を向いていて、次に進む準備も整っている。だけどこれらも全部本心だ。
 立ち止まって踵は返さないけれど、ときどき少し振り向くことが許されて、もしそれを喜んでもらえるのなら。

そんな風に思う気持ちは、きっと祈りでもあると気づいている。

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