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「できる」と言ったって、証拠がなければできないのと同じ

 私が就労移行支援施設に通い始めて、2週間が経った。今日の私は、ひたすらタイピングの練習をして過ごした。
 タイピングが苦手なの? いいえ。PCで小説を書くのが好きなくらいだから、タッチタイピングも余裕だ。

 じゃあ、なんでわざわざタイピングの練習に時間を割いていたのか?

 今日予定されていたプログラムが雨で中止になったから、暇だったというのもある。しかし、それだけではないのだ。


タイピングに関する私の誤解

 私の通っている施設では、朝礼と終礼で、自分がどんな活動をするか、したか、をひとりずつ全員の前で報告する。
 それを聞いていると、けっこうな人数が「タイピングの練習をします/しました」と言っていることに気付いた。

みんな意外とPCとか触ったことないのかなぁ。まあ私はできるけど?)

 そんなふうにのんきに構えて、簿記の勉強をしていた私だったが、そういうことじゃなかったのだと気付かされた出来事があった。

資格は、「できる」という証明

ある朝の会話

 ある朝、開所前に施設へ到着した私は、数人のメンバーと共にドアの前で開所を待っていた。もちろんみんな先輩である。

「梅谷さんは、なんの資格の勉強をしているんですか?」
「簿記2級をやってます、前に3級をとったことがあって」
「そうなんですね。みんな最初はタイピングとかPCスキル系の資格をとってますけど、そういうのはやらないんですか?」
「タイピングはできるので、改めて勉強することもないかと思って」
「……??」

 そのまま話題は別の方向に流れていってしまったのだが、そのときにものすごく不思議そうな顔をされたことが、なんだかひっかかった。
 開所後、担当のスタッフに「タイピングとかPCスキルの資格とらないのかって話を振られたんですけど」と相談をもちかけると、

「とったらいいと思いますよ。梅谷さんはスキルがあるんだから、『できる』という証明になります」

 ――雷が落ちたような衝撃があった。

むしろとるべき資格は……

 言われてみれば、そうである。
 資格とは、その技術や知識がその人にあることを第三者が保証するものだ。ひとりで勝手に「できます」と言い張るのとでは、説得力の次元が違う

 勉強しないととれない資格も、とる価値はある。しかし。
 今すでにできることについて、資格が存在するなら。率先してその資格をとって、「自分はこれができる」という証明をしていくことのほうが、大事なのではないだろうか……!?

現状の把握

タイピング技術について盲点がひとつ

 PCスキルは多岐にわたるのでさておき、タイピングの技術なら、レベルを確認するのも簡単だ。
 早速タイピング検定の模擬試験を受けてみると、3級が今の私のレベルのようだ。スコアを見てみると、だいたい平均値ちょっと上といったところか。……もっと上、そんなにたくさんいるんだ……。

 意外に成績が伸び悩んだ理由は、なんといってもタイプミスの多さにあった。普段はちょっと打ち間違えても、すぐ消してしまうので、ミスなんてしていないような気がしていた。その点タイピングテストは非情である。
 正答率98%以上を目指すべきところ、92%とかそのくらいの正答率を推移してしまう。まだまだ伸びしろがあるようだ。

目標の設定

 施設の決まりで、通い始めである今月は検定料の補助が出ない。今月はとにかく、コツコツちゃんと通うのがミッションだ。

 しかし、私の認識が間違っていなければ、来月には検定料の補助を受ける条件が満たせるはずだ。そうしたら早速、タイピング検定を受けようともくろんでいる。
 家で使っているPC以外のキーボードでも安定してタッチタイピングができるように、そしてタイプミスを減らせるように。新しく学ぶことがなくて退屈ではあるが、検定でいい成績を出せるように、タイピングを練習しているというわけだ。

 ……まるっと1ヶ月練習したら、うっかり2級がとれたりしないだろうか。努力しだいか……。

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