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私の過去:闘病生活とその中での気付き

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大病をしたころから現時点までのことを、ツラツラと書き起こしています。書き出すことで、今まで受け入れられなかった部分が受け入れられるかも…といった気持ちで書いています。
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#大学病院

42.ギプスが外れること

ギプスが外れるまでは、リハビリと言っても大したことは出来ず、相変わらずの体幹リハ。 1度目の入院よりは体幹がシッカリしていたので、指示されたことはスムーズにできるようになっていました。 手術から1ヶ月ほど経過した頃(転院後半月後)に、ギプスを取りに大学病院に行きました。 ⁂ 私の研修医が「執刀医が固定用の長い釘の場所を打ち間違えているから、2か所傷があるよ。」と術後にニヤニヤしながら言っていたことが気になってしまって。 これ、1回失敗して、2回目で成功したらしいです

40.大学病院は手術病院

特に整形外科で入院していたこともあって、手術が終わればベッド待ちの患者さんのために私たち術後の人間は転院をさせられる運命・・・そう、ある程度まで回復すれば”用済み”なので。 まー、仕方が無いんですけどね。普通の病院と違って臨床のデータを取って、且つ各症例の研究に充てると言う事が大学病院の使命ですから。 なので、私も転院先に打診されて、転院する準備をしていました。 ⁂ 大学病院は1つの街を再現しているようで、ショッピングモールじゃないけれど、コンビニ、郵便局、某ホテル系

39.手術前夜~手術後

手術の前夜に麻酔科の医師がやって来て、問診等を行いました。 が、その先生って私の同期にソックリ!宮川大輔みたいなフレームの眼鏡をかけていて、私の同期も同じような眼鏡をかけていて、背格好から顔の面影、すっごく似ていて、その同期に問診を受けていたように感じでゲラゲラ笑いが止まらなくて・・・ 笑いのツボに入ったら最後、止まらない、止まらないwww 先生、超困ってました。先生には罪はないんだけどー、ごめんね。 でも、全身麻酔は凄く辛いのを知っていたので、「下半身麻酔が良い!!

38.手術、再び。

今日も暑いですね。そして、また1日ぶっ飛ばしました・・・ 毎日更新が結構大変な事は知っていますが、いやぁ、ちょっと他の事をしていたら「あっ!」という間に24時過ぎちゃうんですよね。。。。 ⁂ 珍しいモーションキャプチャー検査の後は、普通の健康チェック。ああ、私に関しては脳波やMRI検査もあり、脳神経外科の診断もありました。 大抵の医師は横や縦の繋がりがあるので、私の脳の手術を執刀してくださった医師の名前を告げると「あ~、あの先生ね。」で話が通ったという感じ。 今は日

37.退院、そしてまた大学病院へ入院

東北での治療は一旦終了したので、退院し地元に戻りました。 けれど、治療の甲斐がなく装具を外して歩いていると足の捻挫が頻発することが発覚、古傷の影響をモロに受けており、その傷を治療するために地元の大学病院を訪れました。 ⁂ 私が東北で受けていた治療自体、日本では当たり前のように周知されていた方法ではなかったので、例え町医者で大きなクリニックを構えていても対応することは難しいだろうと考え、結局大学病院でないと太刀打ちできないと判断されました。 古傷の方は足首の剥離骨折とじ

35.手術

麻痺した手足の筋肉に電極を埋め込む手術を受けました。 現在でいえばシックスパッドに代表されるEMS(神経筋電気刺激療法)に近いものとなります。 今は皮膚表面からの電気刺激で麻痺した筋肉をコントロールするリハビリがあるようですが、当時は体内の筋肉に直接細いコイルというか針金を埋め込み、肩に近い腕と太腿の真ん中から電気信号を送る機械に接続するコネクターが体表に出ているという形のものでした。 最終段階では、そのコネクターも体内に埋め込み、無線でコントロールを行う形を目指してい