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私の過去:闘病生活とその中での気付き

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大病をしたころから現時点までのことを、ツラツラと書き起こしています。書き出すことで、今まで受け入れられなかった部分が受け入れられるかも…といった気持ちで書いています。
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#PT

41.大学病院を退院~そして転院

MRSAの検査結果が出て、ようやく転院することに。 研修医・看護師たちも若いスタッフが多くて楽しかった入院生活でした。 ギプスを膝下まではめられた状態で車いす生活だから、当然即元居たリハビリ病院に家の車で運ばれて午後には入院手続きをしていました。 午前中は、30歳までの医療スタッフばかりの環境・・・ 午後には、患者さん含めて医療スタッフも年配ばかりの環境(リハの人らは別) 20代前半の私にしてみれば、ちょっと残念な環境。。。 しかも、以前いた時より患者さんの平均年

17.よし、歩こう

もう夏になりかけていた頃から、ようやく歩行訓練が始まりました。 「待ってましたー!」 私はウズウズしていて張り切って訓練を受けた記憶があります。 が、、、、 思うように足を運べない。。。 歩こうとすれば、右足の小指から着地する、捻挫する感じの着地の仕方でした。 踵から着地も出来なく、足の先からの着地しかできない状態。今も踵からの着地は難しくてできません。 また、膝が突っ張ってしまう「ロック」という現象にも悩まされました。 当然、足の感覚はほとんどなく、左足1本

12.理学療法士(PT)のバカ

大学にも週1回通学ができるようになって、リハビリも順調でした。筋肉自体もこわばっておらず、リハビリ自体もやりやすかったかと。 でも、私は夜中に泣き出して看護師さんを困らせることになるんですよね。 丸3ヶ月は歩く訓練はしない方針私のPTは、私に対して「3ヶ月間は歩く訓練はしない。自分で勝手に歩いてはいけない。」と約束をさせました。 私のいた病棟は、下は高校生から上は60代、70代の方がいて、私は若者の1人でした。 若い人でも、歳がいった人でも、みんな歩く訓練、病棟をゆっ

8.リハビリ病院へ転院の日がやって来た

4月に入り、脳損傷のリハビリを専門に扱っている病院へ転院する日が来ました。その業界では有名な病院で、そんな病院が近くにあったということは私にとって幸いでした。 こんなにリハビリを受ける人がいるんだと驚く今思えば当たり前のことですが、専門病院だけに患者さんが集中してやって来ます。でも、当時は世間知らずの学生だったから、リハビリ室でリハビリ(以下リハ)を受けていた患者数に圧倒されてしまいました。 また、ほとんどが理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)と患者